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映画レビュー:No.689 きみへの距離、1万キロ(原題「Eye on Juliet」)

きみへの距離、1万キロ
91分 / カナダ
日本公開:2018年4月7日
監督:キム・グエン
出演:ジョー・コール
リナ・エル・アラビ
フェイサル・ジグラット
ムハンマド・サヒー







この記事はネタバレを含みます。ご了承下さい。



最近は「こういう髪型にして下さい」とデビュー当時のKid Fresinoの画像を持っていくのだけど大概トータルテンボス大村みたいな髪型になる。

▼「現代のジュリエット」という解釈
監督の前作「魔女と呼ばれた少女」もそうだったけれど男性原理主義に人生を奪われる女性というモチーフが描かれている。
邦題はロマンティシズムを煽っているけれどどちらかと言うとこれは異性愛の話ではなく「現在」を映した物語という印象だった。

城に閉じ込められた女性が運命の男に助けてもらうというシンデレラストーリーはもはや時代遅れになりつつあるからこそ、時代遅れな因習に閉じ込められている女性を現在のジュリエットと解釈するのは上手い。
原題は「Eye on Juliet(ジュリエットを見ている)」。ロミオとジュリエットについては劇中でも言及される。
ただ「義を見てせざるは勇なきなり」という話であって当事者間の恋愛の物語ではない。ロミオは他にいて、助け出す男性側の主人公もそれをわかってる。

▼「見る」「見られる」という行為の意味
遠い北アフリカのパイプラインをロボットの遠隔操作で監視する主人公にとって「見る」という行為にはとても攻撃的な意味が有る。
迷子の盲目老人との場面で彼が行った「コミュニケーションを通じて関係を築くこと」、もしくは「利害とは関係なく善意を差し出すこと」という普遍的な善の在り方は、「無害な民間人」も「疑わしい」と報告して誰かを悪者に仕立て上げなければいけない仕事なのだと非難される。
「悪者を見つける」という行為の裏側には悪を歓迎する矛盾があるし、そうするしかない人々の感情をそうしなくてもいい人々が安全地帯から黙殺するという搾取のシステムが有る。
そういうマッチポンプは後に決定的な悲劇を招く。

逆にヒロインにとっても「見られる」という行為は彼女の人生を束縛している。自由恋愛を奪われ因習による女性観を強いられる。エキソダスを目論む彼女にとってその世界の他者の目は全て敵になっている。
そんな彼女を主人公が「見つける」。それが救いになるという各々の世界の反転がとても鮮やかで映画的だと思う。

▼普遍的なヒューマニズムの物語
デトロイトでテクノロジーやシステムによって機能している主人公の生活は、一方で全てが代替可能な手軽さで満ちているともいえる。
そういう、感情より利便を優先するライフスタイルが一般化している社会というのはある意味でとても現代的なディスコミュニケーションの形だと思う。恋愛も娯楽も全てが人工的で、何が大切か考えることを辞めてしまっている人たちが多数派を形成している。
主人公はその満たされ無さに気づいてしまって自分が何者なのかを見失ってしまったのだと思う。
だから彼は「そう生きるしかない」というヒロインの人生を救おうとする。純粋な何かを信じたいじゃないかというヒューマニズムが彼の違和感の正体で、それを肯定することが彼の人生の意味になっていく。まあ映画としては直情的な描かれ方すぎる感じもあるけど、動機としてはとても理解出来る。

この作品の感想を読んでいると「同僚や会社に迷惑がかかっているじゃないか」という人が少なからずいるのだけど、目の前に運命の岐路に立っている人がいてその人は自分の助けを待っている、という時に「始末書書くのがめんどくさいんで」とか「友だちとケンカしたくないんで」とかその程度の理由で見捨てる人間にはなりたくないなと思う。
よっぽどの二択ならまだしも、こっちは死ぬわけじゃないしあっちは人生かかってるんだよ。考えるまでもない。

普遍的な良心についての物語。
困ったら頼ればいいし、困ってる人がいたら手を差し伸べる。それが良い世界だと思う。

★★★★★★☆ / 6.5点

ちなみに監督の前作「魔女と呼ばれた少女」は映画を好きになった最初期に観て「こういう映画もあるんだなあ」と興味の幅を広げてくれた作品として印象に残ってる。
もうあんまり具体的な事は覚えてないけど「とても良かった」という記憶だけは有るからこの「きみへの距離、1万キロ」が気に入った人は是非観てみてください。

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