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映画レビュー:No.695 女は二度決断する(原題「Aus dem Nichts」)

女は二度決断する
106分 / ドイツ / PG12
日本公開:2018年4月14日
監督:ファティ・アキン
出演:ダイアン・クルーガー
デニス・モシット
ヨハネス・クリシュ
サミア・シャンクラン
ヌーマン・アチャル







この記事はネタバレを含みます。ご了承下さい。



風呂で歌うたうといい感じになるのなんなんだろうね。

▼三幕構成の面白さと裏側の主張の一貫性
映画の最後に作品が主張したいことが明確に示されるのだけど、それによって作品全体のグレイなバランス、主人公の危うさに対して明確な答えを出してしまうのが一本の映画の余韻として好みからするとちょっとどうかなと思った。

三幕構成で少しずつジャンルが変わる面白さがあるのだけれど裏側では一貫して被害者の苦しみを描いている。
特に観客は事件当日に主人公が何をしていたのかという事を知っているので、その後彼女に向けられる疑惑の目、人種や前科者というレッテルを貼る社会のデリカシーの無さが二次被害、三次被害に繋がる部分がとても苦々しい。
二幕目で舞台が法廷に移ってからも映画としてハッキリこの人が犯人ですという描き方をされた容疑者でも証拠不十分で敗訴してしまう。司法制度も彼女に味方してくれないどころがより誇りを傷つける事になる。
被害を受けた主人公ばかりが希望を奪われる不条理な展開が続く。

▼主人公の絶望を通じてメッセージを伝える作り
上告を提案され、生理不順を解消して、一度は設置した爆弾を回収する彼女にはまだ再生に向けて引き返す余地があったのだと思うけど、映画として出す結論としては一貫して被害者としての苦しみ、再生の困難さ、決断というものの「重たさ」を観客に投げかけるようになっている。
各パートの最初にそれぞれ主人公一家のホームビデオ風映像がつくのだけど、そこから本筋に戻った時の落差で彼女の知っている事実と世間の乖離というのがわかりやすく描かれているし、より彼女の戦う動機や闘志に説得力が生まれている感じがする。
タイトルの通り彼女は二度決断するわけだけど二つとも全く方向性の違う絶望によるもので、それが決して事件の容疑者たちによってのみもたらされたものではないだろうというところが作品の言いたいことなんだろうね。

▼監督が映画で描きたいであろう部分
前作の「50年後の僕たちは」もそうだったけど、トルコ系ドイツ人のファティ・アキン監督ならではのドイツ社会の人種的扱いに対する違和感みたいなものが要素として作品に取り入れられているのかなと思う。
前作、今作と全然テイストは違うけどどちらにも社会に対して接続しきれない人の立場を描こうという意識が込められているところに監督の映画に対するスタンスを感じる。

そういう主人公の負った取り返しのつかない喪失をヘイトクライムへのアンサーとしている。
安易なハッピーエンドは無し。ゴリゴリの社会派サスペンスなのでドスンとしたものをもらうつもりで観ましょう。

★★★★★★☆ / 6.5点



あと↓の「拍手」を押してくれると喜びの舞を小一時間踊り狂います。
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