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映画レビュー:No.714 ザ・ビッグハウス

ザ・ビッグハウス
119分 / アメリカ、日本合作
公開:2018年6月9日
監督:想田和弘、マーク・ノーネス、テリー・サリス
出演:ドキュメンタリー映画のため割愛






ネタバレはありません。



友達が少なかったのでスマブラが弱い。

▼初日の初回で監督たちが来ていたよ、という余談
予定が合ったので公開初日の初回で鑑賞。イメージフォーラムに着いたら劇場の前で監督たちが談笑していて「おっ!想田監督だ!」と思った瞬間の僕が想田監督のツイッターの写真にバッチリ映ってた。終演後の観客席セルフィーはフレーム外だった。ふむ。
終演後に監督3名による質疑応答の時間があって僕も編集について質問させていただいた。それについては後述します。

イメージフォーラムでは前日まで想田監督の過去作全作品を上映する特集をやっていたのだけど、僕は何を勘違いしていたのかこれからあるものだと思っていて、パンフレットにサインを貰うときに「特集も楽しみにしています」と大変恥ずかしい失礼をしてしまった。
申し訳ないし過去作観れないしでめちゃめちゃ落ち込んだ。お昼に食べたカレーはうんこみたいな味がした。

▼満席=様々な立場の観客がいるという環境で観るこの映画の面白さ
満席での鑑賞となったのだけど僕の前の席の外国の方が熱狂的なミシガン州立大アメフト部のファンで、チャントに合わせて拳ガンガン突き上げるし監督が登場する場面では奇声を上げるし挙句の果てに上映中にユニフォームに着替えだすしで終始すさまじいアゲぽよっぷりだった。見ようとしなくても否が応で視界に入ってくるんだけどそれ以上についついリアクションを目で追ってしまう愉快なおっさんだった。
面白かったのはその人はそれでいて作品の持つ批評性に関しては極めて自覚的に観ているっぽくて、質疑応答で地元での観客のリアクションに対する質問に答える監督たちの答えを深くうなずきながら聞いてた。
観察映画を成り立たせる能動的な解釈がいかに現実に対してフェアなのかというのを表している一例だと思うし、その人にとっての愛校心は決して右的なナショナリズムに通じるものではなくあくまでスポーツのエンタメの一環としてピースを前提に楽しんでいるってことなんだろうな。単に贔屓のチームを応援するっていう。

▼作品のユニークな制作プロセス
編集について質問した際に想田監督が答えてくれた作品の制作プロセスがとても面白かった。
この映画は監督が三人クレジットされているけれど本当は大学のワークショップとして始まった企画でそのクラスに関わった17人(そのうち13人が学生)が監督という捉え方をしているそうで、始めにワークショップの生徒たちとミシガン州立大学のアメフトの試合を観に行ってそれぞれが興味ある部門でカメラを回し、それを持ち寄ってディスカッションしてそこから出てきた課題や着眼点について改めてカメラを向ける、というのを繰り返したらしい。
そうやって集めた映像素材を想田監督が編集して映画にする、という制作プロセスで出来上がった作品なんだってさ。
想田監督の観察映画は常にミクロを捉える続けることで全体を浮かび上がらせる、という展開をしていく。それは想田監督が常にテーマを決めないで撮影に臨んでいるからだと思う。だからこちら側は常に映っているものをどう捉えるのかというところから映画に入っていかないといけない。
それは現実世界において個人にできる観察の真理であり真骨頂のようでもある。世界をできるだけ多面的に捉えてそのことについて考えなければいけないということ。
とても双方向性の強い映画体験で、「観客に届いた瞬間に映画が完成する」ということを究極的に体現する試みだと思う。

▼モチーフという目的があることによる観察映画の印象の変化
ただ本作の場合はザ・ビッグハウスというものすごく強烈なモチーフがあるぶん解釈の出発点が少しだけ前にある感覚があって、ある意味では少しわかりやすいという印象も受ける。
一方で17人分の視点が織り込まれていることで視点から視点に飛び移るダイナミズムがとても強くて、メインの被写体という映像的な軸がないぶんシーンが変わる度にカメラマンのアプローチに対してこちらも思考する面白さが強い。
今作も極めて能動的な映画体験で、面白さまで到達すること自体に達成感がある感じがやっぱり面白いなあと思った。

▼映画が捉える貧富のコントラスト
州立の大学が堂々たるスポーツビジネスを基盤に大学経営をしているっていう実態にまずめちゃめちゃびっくりする。10万という人の数以上に動いている金の額にビビる。
スタジアムって基本的にグラウンドに近いところから末端に行くに連れ座席単価が下がっていくっていう金持ちから庶民に至るグラデーションが視覚的にわかりやすい構造になっているのだけど(まあこのスタジアムはそういうチケットの売り方はしてないかもだけど)、本作ではさらにスタジアムの周辺まで視野を広げてそのコントラストを捉えるところとか語弊のある言い方になるけどとても面白い。
普段当たり前にやっている娯楽に金を払うということがとても残酷に映る。それを僕が言うのは欺瞞だけど。

▼ミクロとマクロのギャップ
ザ・ビッグハウスの象徴するものはとても概念的で中心にして実体がない。アメフトの試合に関わる末端の人々は基本的に一個人としての感情や役割のスケールを出ないのだけど、確かにそれが集まってザ・ビッグハウスなのだというその飛躍に終始不思議な気持ちになった。
一つの試合を作り上げる人の流れはとても緻密でスキがなく、色々な役職の人が出てくるけれど毎回「確かにこういう仕事をする人がいないと困るよな」ってその発見だけで目からウロコが落ちる。
でも例えば僕が2000円だか3000円だかのチケットを買ってスタジアムに入ることが300億円規模の資産価値に繋がるということに具体的な想像力を持つことは難しい。その実態がデカければデカいほどそのギャップに戸惑う。

▼スポーツビジネスに対するシンプルな結論
結局この映画が捉えているコントラストとか全体主義に取り込まれる様々な価値観っていうのは、スポーツに人の心を動かす魅力があるっていうそれだけのことのようにも思う。アメフトの試合は非日常であり、代理戦争であり、ある意味とても良くできたフィクションであり、まあ娯楽っていうのはそういうものだよなと思うわけ。
これを間違った方向に利用すれば危険だという可能性は否定しないし確かに方法論としては立派なプロパガンダなのだけど、この映画で映っているものに関してそういう印象は僕は持たなかった。誰も傷つけないからね。
ただまあアメリカの州立大学はすげえと、結局それに尽きる。バカの感想かよ。ははは。

★★★★★★★★☆ / 8.5点

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