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映画感想:No.942 王国(あるいはその家について)

王国あるいはその家について
150分 / 日本
公開:劇場一般公開無し
監督:草野なつか
出演:澁谷麻美
笠島智
足立智充
龍健太




この感想はネタバレを含みます。ご了承ください。




7月に45本も映画を観てどれも割としっかり感想を書いていたので現状感想のストックが常に5本分くらいある。

▼scoolというハコ
本作が上映されるscoolというハコは三鷹駅から徒歩5分のところにあるビルの一室にパイプ椅子と座布団を並べただけというかなりストイックな環境だった。
上映時間は150分もあるのにこれで作品がつまらなかったらケツに活断層が入りかねないと戦々恐々してたのだけど、これがとにかく素晴らしくて杞憂オブザイヤーでした。
オススメしてくれた谷中映画部のAさんに感謝。これは一般公開されてほしいなあ。本当に観れてよかった。

▼「映画」についての手法的問い直し
とても双方性の強い方法論で「映画」について問い直すような2時間半。
観ながら普段意識している映画文法を何回も頭の中で組み立て直すような、めちゃめちゃ刺激的な映画体験だった。文字通り型破りな面白さ。
思い出したのは今年公開された『佐藤雅彦研究室 カンヌ短編プロジェクト』というオムニバス短編集の一編である『父、帰る』という作品なのだけど、あちらが短編という尺の中で「物語」に特化した手法的試みだったのに対して本作はそれに加えて演出や映像表現というより広範かつ踏み込んだ方法論の問い直しをしている。
ろんぺさんが「佐藤研〜」の紹介をした時の言葉をそのまま引用すると「手法を学び、疑い、壊すことで生まれる表現」を本作も描いていて、それが手法的にも構成的にもきちんと一本の映画として成り立っているのがとても素晴らしかった。

▼双方向性の高い映像表現
ファーストシーンでこの映画の「モチーフ」と「テーマ」が説明されて以降は常に物語として「不完全」なものが紡がれる。例えばリハスタでの演技という美術が省略された設定であったり、台本の読み合わせという演技の不足した状態であったり、もしくはカメラワークや編集に至るまで様々な仕掛けがある。
劇中で主人公が発する「不意に表れる、物語の中にいるような密度の高い凝縮された時間」というセリフに象徴されるように本作は「時間表現としての物語=映画の物語」に関する考察を多分に含む内容なのだけど、それをスクリーンが提示するものと観客が想像力で補うものの交わった場所にできる「物語が成り立つ地点」を探り続けるように描いていて、常に一定の能動性をもって画面を観る面白さが強い。

▼積み重ねで見えてくる変化
冒頭の供述の読み合わせ場面から観客は主人公に何があったのかという興味を握った状態で映画を観るのだけど、本編のほとんどは完成した映像ではなくリハスタでのセリフの読み合わせで場面ごとのアプローチを探る様子を映す。
とはいえ劇中劇では無い瞬間はほぼ無くて、常に役者が演じるところしか切り取っていない。つまり"物語"からはあえて逸脱しないようにしている。
同じ場面の同じやりとりを何回も繰り返して見せるのだけど、その中で例えばセリフ回しやセリフの間の違いであったり、表情の違いであったり、もしくは話す側を映すのか聞く側を映すのかという映像的な描き分けだったり、演者のアプローチや演出の塩梅によって同じ場面が非常に可変的に表現されていく。
一つ一つは小さな変化なのだけどそれによっていかに場面の空気や場面の伝えたい意図が大きく変わるのかがとてもダイレクトに感じられるし、完成された映像を頭の中で描きながらそれが映像の提示するものによってグイグイと塗り変わっていくのがとても刺激的だった。

▼"映画らしさ"と"物語"の関係
映画としての構成もさりげなく巧みで、序盤は本読みという物語が立ち上がる初期の段階を映像的にも長回しやアップを多用した平易な映し方で見せているのが、そこから小道具やライティングという美術装飾、カットバックやロケーション、カメラワークという映画の文法が加わることで"映像的な説明"の塩梅までもが変わっていくように作られてる。
話が進むにつれてより"映画らしさ"を伴う映像表現になっていくのだけど決してそれが"物語"の理解度と比例するわけでは無いところがとても面白い。

▼映画文法の意識的なスクラップ&ビルド
一方で物語的には決して時系列に沿った作りでは無いのだけど、それを入れ替える事であえて感情的な積み重ね、時間的な積み重ねがわかりやすく一元化されるのを避けているような感覚がある。
そこもモンタージュや時間表現という普遍的な映画文法に対する意識的なスクラップ&ビルドの視点を感じるし、より観客が頭の中でストーリーを組み立てる面白さが強まっているようにも思う。
観ている中でちゃんと冒頭場面の供述に収束される物語であるということが浮かび上がってくるし、上手いのは場面ごとのトライアンドエラーの中で観客が感じ取る「この場面はこういうことを伝えたいのか」という作劇の意図がきちんと冒頭に説明された出来事の感情的な背景として大きなドラマにも組み込まれていくところ。表面的、内容的に受け取る情報量がとても多い。
普段映画を観ている時とは全く違った地図の描き方で全体像が出来上がっていくのが本当に刺激的だし、個人的にはその意図を最大限に堪能できた。

▼役者さんの力量が問われる内容
もちろんこのやり方は「脚本」に対して様々なアプローチを高いレベルで提案できる役者の力量が必須。演技をする人を演じなければいけないのだからただの劇映画より何倍も複雑だし、もちろん映画として全て演出され、コントロールされている。
「演出によって画面から受け取る印象に出る違い」という本来作為を感じさせてはいけないテクニックに関して、例えば「じゃあこうしてください」という演出をする場面を映すなどわかりやすく言及して描くのではなく「観客が気づく」という双方向性を信じて作っているのもとても映画的で良かった。
ちなみに『きみの鳥はうたえる』で全非モテ男子代表を演じた安達智充さんが主要キャストの一人で嬉しかった。澁谷麻美さん、笠島智さんと合わせて主要三人がとにかく凄い仕事をしている。

▼演出、構成の塩梅の難しさ
どこまで繰り返したらどのくらい伝わるのかのさじ加減に関しては個人的にはややくどいと感じる部分もあったのだけど、これを客観的に判断して適切な情報量を見極めるのは大変だと思う。あえて繰り返す事で変わった部分を強調するやり方もあるし、その都度によって効果的な見せ方が変わっていく作品なので過不足の判断に正解は無い気もする。
ある程度観客が持続して集中することを必要とする表現なので観客側のコンディションもかなり重要なのだけど(まあそんなこと言ったらどの映画もそうなのだけど、この作品はことさらそれが強い)、幸いこの日の僕は絶好調でとても集中して映画の内容を堪能できた。
特に僕のように普段からブログで「映画はなんで面白いのか」という理屈をこねくり回している人間にとっては積み重ねてきた映画的教養の総決算みたいな内容でとても刺激的だったし抜群に面白かった。

できれば監督にいろんなお話を伺ってみたいなあ。これがこんなにも限定的な公開なのは本当にもったいないと思う。
世の中にはまだまだ面白い事を考える人がいる。映画観客冥利に尽きる一作でした。


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