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映画感想:No.1051 私の少女(原題「A Girl at My Door」)

私の少女
119分 / 韓国
公開:2014年5月22日(日本公開:2015年5月1日)
監督:チョン・ジュリ
出演:ペ・ドゥナ
キム・セロン
ソン・セビョク




この感想はネタバレを含みます。ご了承ください。




UMB東京予選に出ました。ベスト32でMC龍さんに敗北。高校の球技大会で5人目のPKキッカーやったときくらい緊張した。

▼スマートな導入〜世界観の力学の提示
ペ・ドゥナ演じる警察所長がやってくる冒頭から舞台となる漁村の保守的価値観から来る閉塞感、差別意識がプンプン漂っていて、一気に物語の空気になる。
世界観を見せつつ同時に必要なディテールや登場人物、関係性などもスマートに提示していて繊細かつ豊かな導入からグッと掴まれた。
主人公をコミュニティの外側からの視点として据えながら彼女自身は車という小さな箱の中にいるのも象徴的で、ここから沢山の物語を想像する事ができる。

▼「大きな世界」の暴力的な全体主義
暴力や差別という絶対的な「大きな世界」に対して孤独を抱えて生きる「個」という構図は、なるほどイ・チャンドンがプロデュースする必然性を感じる要素。
そうやって社会の内包するマジョリティの力学に寄る辺なく敗北してきた人たちの物語で、だからこそ個人の努力では如何ともし難い状況に対して主人公が良心を発揮できるところが切なくも美しい。
舞台となる漁村には資本主義や全体主義のバランスを取るために見て見ぬふりをされてきた罪がベッタリと蔓延っていて、村人だけでなく警察までも「仕方のないこと」だとしてそこにある問題を放置している。

▼良心のキャパシティ
排他的で保守的な村社会の歪みを見つめながら正しい側の立場の弱さを並行して描きこんでいくところがとても誠実な作品で、多面的に問題を浮き彫りにする手つきがとても良かった。
主人公は良心を発揮する事で発生する責任に対して常に迷いを抱えている。主人公が見放したら少女は本当に孤独になってしまうということが彼女の負担になっていて、目の前の人を助けるという絶対的な正しさを前に例えばプライバシーの問題や社会的立場の問題など、単純にきれいごとでは片付けられない課題が見えてくる。
もちろん主人公が手を離してしまったら少女は虐待を受けていた環境に戻ってしまうわけだけど、彼女の取っている行動はあくまでその場しのぎでしかなくて根本的な解決には向かっていかない。
そこには本来社会や政治といったシステムが防ぐべき問題があるのだけどそれを見つめようとしない村の体質によってそのしわ寄せが個人に行くという底の抜けた腐敗がずっと彼女たちの後ろに横たわっている。

▼彼女たちにしかわからないものを見つめる物語
終盤で主人公が守ってきた少女との関係が外側の人間によって暴力的に侵されるところはプロデュースに名を連ねるイ・チャンドンの『オアシス』を彷彿とさせる。
観客だけは二人がどういう時間を過ごしてきたのかを知っているので、そこに明確な悪意があって理不尽に関係性が奪われることの悪質さを最も理解できる構成になっている。
少女のキャラクターはもう少しグレーなバランスで描けるしその方が映画としても面白くなるとは思うのだけど、そうやってミステリーを盛り上げることより彼女の尊厳を守る形でよりストレートな余韻を選択したこの物語も素晴らしいと思う。

▼更新されない価値観への批判
同性愛が発覚したときに主人公は何も言い返さなかったり、同性愛を「病気」と表現する警官がいたり、たった5年前なのに化石のような価値観が横行していてクラクラした。
今すぐスクリーンの中に入って全員ぶん殴りたい気分だった。ガシッ!と主人公の手を取って「お前は何も悪いことしてないぞ!」と言ってあげたかった。
主人公は村に来てすぐに虐待に気づいたのにそれを全く知らない村人たちも異常だし、あまつさえ少女を救おうとした主人公の方を悪く見るのも目が曇っているにも程がある。
差別するやつ、DVするやつはクソだ。この映画を観てそれに気づけないなら終わってる。物語の先で二人には幸せになってほしいな。


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