放談主義

映画感想:No.1136 精神

2020/05/21
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精神
135分 / アメリカ、日本合作
公開:2009年6月13日
監督:想田和弘
出演:ドキュメンタリー映画のため割愛




この感想はネタバレを含みます。ご了承ください。




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▼共に生きることについての映画
こちら側に絶えず思考を促し、一つの視点に留まらせないところが想田監督作品の面白さ。観ていると自分の中で無意識的に錆び付いていた思考回路が動き出すような気持ち良さがあって、観終わると物の見方が変わっている。
想田さんの観察映画を観るのはこれで4作目なのだけど、『精神』は今まで観た監督作の中で最も撮影対象との距離が近く、それ故に映画の中に取材者である想田さんの存在感も強い。
想田さんの作品は「場所の映画」ではなく「人の映画」だと思う。撮影者は人間に反応しているし、人間的に反応している。だからズームやパンにカメラの意思を強く感じる。そこがワイズマンの映画とは決定的に違うところだと思う。
本作も客観的な視点よりもコミュニケーションの中で引き出す物事が多いのだけど、それを含めて関わり合いというのはこの映画の大きなキーワードのように感じる。

▼「既存の社会」という価値観の基準
精神科クリニック『こらーる岡山』はなんらかの形で既存の社会の枠組みからこぼれ落ちてしまった人々に居場所を作るような施設で、そこにいる人々が語る話や施設の活動からは既存の社会的枠組みを基準に「精神病患者」や「障害者」というレッテルが定義されていることが見えてくる。彼らを弱者として扱う社会があるだけで、決して人より劣っているわけではない。
何かのきっかけで社会との関わりが壊れてしまった人たちなのだけど、彼らが関わることのできる社会の形を模索するクリニックの存在によってそれぞれが痛みを抱えながらもそれを補い合って生きるという共同体が形作られている。
クリニックにいる人たちはとても切実に社会との一線を見つめている。彼ら自身がその距離感をどう受け止めているかが伝わってくるし、それは得手不得手であり善悪ではない。
「健常というが、私からすればみんな何かしらの欠陥がある」という言葉が心に残る。僕だって全然人と上手く関わりを築けなかった人間だし、それはきっと出来る人からしたらなにかの問題のように映るのかもしれないけど、僕にできて彼らにできないこともある。

▼受け入れられる居場所と既存の社会との接点
その昔虐待で初めての子供を死なせてしまった人、金に困って子供のために体を売った人、勉強に励みすぎて精神のバランスを崩してしまった人などクリニックの人たちからはとても赤裸々な経験が語られるのだけど、「死にたい」と言いながらクリニックに来る人たちからは「生きたい」という切実な願いを強く感じる。
クリニックの長である山本先生は彼らを否定せず目標を設定させて感情のベクトルが違う方向に向くのを助ける。診断の他にも元患者の人を薬剤師として雇ったり、食堂で一緒にご飯を作ったり、牛乳配達を斡旋したり、もしくは保険適応のための書類を作ったり、可能な限り社会的な接点を作る形で経済面の解決にも手を差し伸べている。
一方で資本主義社会の弱者に不寛容な在り方も見えてくる。生活保障対象者への負担増や医療補助の審査の厳しさなど、貧しい人を切り捨てようとする日本社会の酷薄さが浮かび上がる。
精神病はわかりやすい体調不良と違って症例を理解するためには想像力が必要な場合が多い。自己責任という言葉が大好きな日本の社会には特に生きづらいだろうと思う。

▼理想的な関わり合いの形について
人は社会的な生き物だと思う。一人では生きていけないし、関わり合うことで人生が豊かになる。だからこそ生きていく上では「愛し愛されること」や「自分が社会にとって必要な存在だという実感」が必要なのだと思う。誰かに受け入れられること、ここにいていいと言ってもらえる場所があることは生きる意味になる。だから彼らはこのクリニックに集まる。
不安に思ったり上手くできなかったりするのは誰だって同じで、「自分は人と違う」とはっきり言い切れる根拠なんて何一つない。人に優劣という区別をつけることこそ人を追い詰める危険な思想だと思う。
人は誰だって完璧ではないから手を差し伸べ、補い合って生きていく。それが共同体であり、ひいては社会であり、理想的な関わり合いの形だと思う。

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