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映画感想:No.1191 メメント(原題「Memento」)

2020年09月16日
映画レビュー 0
メメント
113分 / アメリカ
公開:2000年9月3日(日本公開:2001年11月3日)
監督:クリストファー・ノーラン
出演:ガイ・ピアース
キャリー=アン・モス
ジョー・パントリアーノ
マーク・ブーン・ジュニア
ジョージャ・フォックス




この感想はネタバレを含みます。ご了承ください。




▼ユニークな設定とそれを活かす構成のサスペンス
シネクイントのリバイバル上映で鑑賞。いつか映画館で観れるんじゃないかと未見でい続けた甲斐があったというものだ。

事の顛末を逆再生で映す冒頭から時間軸を遡っていく構成や記憶が消えていくという設定を示唆しているのだけど、主人公にとって重要なアイテムになるポラロイド写真が消えていくという演出は観終わって振り返るとより本質的な「事実の意味のなさ」の象徴のようでもある。
設定のユニークさ、それを満遍なく活かした構成とサスペンスを途切れさせない手続きが本当に上手いのだけど、主人公が意味もわからずに手持ちの手掛かりから強引に因果関係を繋げていく話なので常に「選択と結果(この映画の場合「結果とそれを導き出す選択」)」に小さな伏線回収がある。

▼健忘症を活かしたフリオチの連鎖
さすがに劇中での10分という時間感覚に関してはかなりアバウトに描かれている気がするけど「いまなんでこんなことになってるんだっけ?」ネタのバリエーションだけでもずっと面白い。
気が付いたら走ってる主人公が並走する男をみて「あいつを追いかけてるのか!」と思ったら「俺が追いかけられてた!」と気づくところとか、知らないユニットバスにいるからとりあえずシャワー浴びてたら待ち伏せしてた男が帰ってくるところとかちょっとコミカルで笑ってしまった。
とはいえこの設定では全員信用できない人間だし、「俺が知らないことをこいつは知ってる」っていう疑心暗鬼の気持ちを追体験できる構成だけでずっと面白かった。

▼ノーラン映画で描かれる「時間」という感覚
ノーランの映画は考えてみると時間という普遍的な共通認識を固有の感覚として捉え直す要素がある作品が多いように思う。
本作や『ダンケルク』はわかりやすいけれど、例えば『インセプション』や『インターステラー』でも部分的には異なる時間軸や時間感覚を映画という一元的な時間表現で表すところにトリックやロジックを託している。
観客が体感する時間感覚と映画内の時間の意味に齟齬を生み出したり、もしくは並列させることで映画的な嘘を生み出したり、本来時間が内包している体感性を疑い問い直しているところが面白い。
本作も主人公と同じ感覚を体感させるという点でも構成的必然があるのだけど、彼の行動原理の「信じたいものを信じる」という本質が、より物語というものの本質的な主観性を浮かび上がらせるオチは「そういう話か!」という驚きがあった。

▼起きる出来事の意味
いつだって一つ一つの出来事はただの出来事なのだけど、それが例えば記憶(時間)という縦軸と他者の存在という横軸によって多様な解釈を持つようになる。一つの出来事にいくつもの物語が内包されている。
そういう分断された時間の交点として、モンタージュをはじめとする映画表現を追求している監督のようにも思うし、ノーランはそこにこそ物語の意味を見いだしている人なのかもしれない。
この映画はそんなことを考えなくても面白いと思うのだけど、物語の内容よりも構成という人工的な語り口にこそ映画的興味を見せる作品という意味で『TENET』の前に観れたことももしかしたら大きな意味があるかもなと思った。
面白かったし興味深かった。
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けんす。
Author: けんす。
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