08
2017

映画レビュー:No.538 スウィート17モンスター(原題「The Edge Of Seventeen」)

スウィート17モンスター
104分 / アメリカ
日本公開:2017年4月22日
監督:ケリー・フレモン・クレイグ
出演:ヘイリー・スタインフェルド
ウディ・ハレルソン
ブレイク・ジェンナー
キーラ・セジウィック
ヘイリー・ルー・リチャードソン








この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




ブラトップ一枚で外に出れるというCMに衝撃を受けた。あれって下着じゃないのか?

▼個人的なあらすじの印象とまとめ
ヘイリー・スタインフェルドはトゥルー・グリットで観た時から「んー...なんか一番イジりづらいタイプの可愛く無さだな。」という感じがなんとも言えなかったのだけど(失礼)、それだけに本作のキャスティングは我が意を得たりであると同時に彼女がこのデリカシーの無い配役に胸を痛めていなければいいなと思う。(この言い草)
幼少期はいじめの対象に選ばれるという理不尽な現実に自信を無くし、母親もそんな自分を全く理解してくれない。父と唯一の親友の存在に助けられようやくコンプレックスを脱したかと思えば今度は目の前でその父親が死んでしまうという、そりゃあ世界が時分に厳しいつって色々素直に楽しめなくなっちゃうわなってくらい、この手の映画の主人公としては大分重たい過去を背負って登場する主人公。
17歳という多感な時期にあって目下の悩みはもっぱら男性関係なのだけど、彼氏なんかいなくてもあなたがいれば平気よ!と頼りにしていた親友はよりによって自分の仮想的代表として最も忌み嫌っていたイケイケの実兄とくっついてしまいあっさりとボンクラを卒業しパリピに転身。勢い余って「絶交よ!」なんていまどき小学生も中々言わないような香ばしいフレーズも飛び出し、その結果主人公は自らコンプレックスや孤独を深めてしまう。
ペットショップで働く憧れの彼にサイコパスじみたアプローチをかけてみたり、隣の席のアジア系の男の子との欺瞞的な恋愛のオペレーションを楽しんだり、主人公なりに「理想」と「現実」の両面で可能性を模索するんだけど結局膨れ上がったシンデレラ幻想に足を取られて事態をこじらせてばかり。そういうあらゆるストレスの捌け口として歴史教師のウディ・ハレルソンに日々ケンカを売っている。そうやって反省も解決もしないまま自分勝手にデリカシーのない振る舞いを続けるのでますます事態は雪だるま式にこんがらがっていく。
主人公は「男の子はこういう事を言うと喜ぶんでしょう?」というきっとどっかの本や映画で読んだんだろう誘い文句やアティチュードをてらいなく放り込む図太さがあるんだけどタイミングも距離感も盛大に間違えてて現場経験の無さがダダ漏れなのがイタい。

▼アメリカ的な"こじらせ"~コメディとして演出するバランスの難しさ
スーパーバッドの童貞描写とかにも言えるんだけど向こうの童貞とか処女って自分のそういうコンプレックスを超積極的に解消しに行くのがお国柄って感じ。普通に人に悪口とか言うしナードとかヴァージンっていう人種が日本のオタク、童貞(女性も含む)とは似て非なるモンってのが映画を観てるとわかる。
まあその上で、これは今年の作品だとエイミーエイミーエイミーなんかにも言えるんだけど、アメリカのヴァージンやビッチが自己肯定のために他人を否定するっていうのをコメディとして描くっていうのはバランスとしてとても難しいなと思う。
毒舌に説得力をつけるには観てる観客も納得できる論理を用意しないといけないし、幼稚とか自分勝手とか倫理とかっていう線引を上手にかわして演出しないと笑えない。エイミーエイミーエイミーなんかはそこを相対的にみんなダメダメですってことにして主人公がツッコミを入れる余地を残すことで世界観全体をコメディにしているけどこの映画の場合主人公以外に"ボケ"がいないから主人公のこじらせに対してノレないとかなりきつい。

基本的に主人公の喚き散らす理屈が本当に彼女の独りよがりな八つ当たりで、端的に嫌なやつ過ぎる。あのブレイク・ジェンナーですら主人公が一方的に悪く言っているだけで割としょっぱなから脳筋バカでもナルシストでもないどころか超良い奴に見える。
親友の女の子にしても、アジア系の男の子にしても、先生にしても、憧れの彼にしても本当に主人公は一方的に迷惑をかけ続けるので観ていて笑いよりも不快感が大きい。そこは主人公の毒舌がキチンとツッコミとして機能するように彼らを"ボケ"として演出しないといけない。じゃないとシーン単体で見た時にコメディが成立しないし後半の印象のひっくり返しも効いてこない。
ウディ・ハレルソンとの会話は彼のあしらい方がいちいち「正解!」って感じでコメディとして上手く行ってると思うんだけどね。それは彼のリアクションによって主人公の自分勝手さがヤダミに映らないから。他のシーンはちょっとそのバランスが悪いというか、主人公の性格の悪さを強調するばかりになってる。
だから最終的に主人公が自分の嫌なところと彼女なりに向き合って成長の入り口に立つっていうラストも「んー、俺は別にこいつの友達でも家族でもないから、これでこいつのことを良かったねと思う気にはあまりなれないな」っていう気持ち。許せねえ!泣いて詫びろ!とは言わないけど、とはいえ彼女がそこまで好きじゃないからいい気なもんだぜと思ってしまう。
学生時代の嫌なやつももしかしたら10年後には上手く付き合えるようになるのかもしれないけど、個人的にはまだ嫌な奴としての記憶が強いんだよ、って感じ。

★★★★★☆ / 5.5点


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