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2017

映画レビュー:No.540 カフェソサエティ

カフェソサエティ
96分 / アメリカ
公開:2016年7月15日(日本公開:2017年5月5日)
監督:ウディ・アレン
出演:ジェシー・アイゼンバーグ
スティーブ・カレル
クリステン・スチュワート
ブレイク・ライブリー








この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




ばしゃ馬さんとビッグマウスの評論に続いて今回のタマフル後枠総選挙の振り返り記事でも駒木根さんはタマフルに名前を間違えられる。

▼作品の恋愛観~表裏一体の"ピュア"と"ゲス"
同居中のミア・ファローの養子とくっついた件を「他の人がどう思おうが自分にとってこれは生まれて初めて上手く行った女性との関係なんだ」と言い放つウディ・アレンだけあって見方によっては純愛、見方によってはクズという恋愛観を地で行く話。
基本的には「みんなわかってくれない」とか「一番欲しいものは手に入らない」っていう"諦観"を描いている監督だと思うんだけど、そこを基準に「とは言え落ち込んでてもしょうがないっしょ!」と前向きになったり「しょんぼり...」と鬱々しくなったりわかりやすくアップダウンするのが人間的。
この映画の主人公は表に出る時はとことん表で、裏に出る時はとことん裏っていう、少なくともその時その時で裏表のない人物に見えるように演出されてるから真っ直ぐで純情とも言えるし、まあだからこそ悪質とも言える。
多分ウディ・アレンの中では「この人も好き!でもこっちの人も好き!」ってが割と普通に有りなんだろうな。そこにゲスさもヤダミもないのはある意味凄いとは思うけどそれは"ピュア"を免罪符にしすぎだろう。もう少し遠慮しなさい。

▼並列的な構造による軽さ
主人公のサクセスストーリーとしても観れたり映画として内包してる要素は意外と多いと思うんだけど、それが重層的というよりは並列的に並んでいるような構成で、例えば今の妻との話、元カノとの話、兄貴の話、などそれぞれ別個のエピソードとして展開するばかりで直接的に同じ場面でぶつかることがないから全体的にサクッと"軽い"。
だからこそたまに「この時の彼の心情たるや!」って表情のアップをポンと抜くのが味わい深かったりしてたまに人物の奥行きを感じさせやがるのがズルいなあと思ったり。笑
元カノが見せに来た時の「てめえどういうつもりだ!」ってジェシー・アイゼンバーグの苦虫百匹噛み潰したみたいな顔とか、そのすぐ後に「飲まいでか!」って速攻酒を注文するとことかテンポとか編集で笑わせてくれる。

▼「ウディ・アレンの映画」というメタな見方
基本的に主人公をウディ・アレンによる自己防衛のための自己言及として観るなら、ド級の修羅場!みたいな厳しい展開は何より自分の自我を守るためにやらない。「僕はわかってるんで何も言わないでください」的な自己愛を幸せなシーンからも落ち込んでるシーンからも感じる。
そういう「言ってること勝手だなあ!」って部分に作品内でお咎めの無いよう作ってあるのも僕は作家のエゴとしてなんか好ましく許容してしまったな。なんかハッピーなのもヘコむのも本気でそう思ってるみたいだし、まあお前がそうならいいんじゃね?って程度には登場人物全員お互い様なとこがあるからかなと思う。
まあ最後の最後まで相手の視点をご丁寧に入れ込んでるあたり「そうだったらいいなあ」っていう願望こもった演出のようにも観えるんだけど、フラれた女も自分の事考えててくれると嬉しいってお前そんな事言ってたらミア・ファローに殺されるぞ。
ほんとフィクションにすがりすぎだろウディ・アレンよ。自己肯定に必死か。笑

ライトにゲスな話をしてるとこが逆に真性って感じで妙におかしかった。
他人事のように皮肉っぽい書き方をしてしまったけど手に入ったものより手に入らなかったものを考えてしまうことってのはまああるよね。"過去"は増える一方だし。
自己防衛のために自己投影や自己言及して作品撮れてんだから映画監督としては健全だし何より強いね。笑
ウディ・アレン映画全般そうなのかもしれないけどどんだけ彼に同化できるかで評価がわかれるのかもしれない。僕はそういう構造自体を面白く観た、という立場。

★★★★★★★ / 7.0点


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