03
2017

映画レビュー:No.553 20センチュリーウーマン(原題「20th Century Women」)

20センチュリーウーマン
118分 / アメリカ
公開:2016年12月28日(日本公開:2017年6月3日)
監督:マイク・ミルズ
出演:アネット・ベニング
ルーカス・ジェイド・ズマン
エル・ファニング
グレタ・ガーウィグ
ビリー・クラダップ







この記事は捉え方によってはネタバレを含みます。ご了承ください。




みんな知らないかもしれないけど、カボチャは煮ると美味い。

▼人物や感情が"リアル"という事
主人公の"母親"の話なんだけど原題は20th Century Womenと複数形。小さいけど大きな違い。頭に入れとくとちょっとグッとくるよ。

1979年、思春期真っ盛りでリアリティに飢えたマセガキの主人公とシングルマザーとしていよいよ一人息子の成長が手に余る母さん、やたら色っぽいけどやたらつまらない残念なおっさんとアートとパンクにわかりやすくかぶれたネーチャンっていう同居人、幼馴染の自己破壊的なエル・ファニング(これ以上ないほどしっくりくる説明だ)の奇妙な共同生活って話。

僕は露骨に変なやつを描いたシュールコメディ(もしくはそういう場面)とかは面白がりつつも人工的な感じに鼻白んじゃう時があってその手の映画が自分にとって印象的な作品になったって映画的記憶がほとんど無いんだけどこの映画のリアリティのバランスはめちゃめちゃ好きだった。
きっとコメディシーンにしても「作品内リアル」ではなく「リアル(現実)」に基づいて演出されてるからなんじゃないかと思う。

家族のあり方ってのは人それぞれ違うから難しい。息子には幸せになって欲しいけど何が息子にとって幸せなのかはわからないから難しい。逆もまた然り。
タバコは体に悪いけど美味しいし"粋"だから吸う。セックスの歓びはオーガズムとは限らず自分を気持ちよくさせようと頑張ってる男のカッコ悪さが愛おしいからだったりする。物事は一元的な善悪とか単純なメリット、デメリットよりよっぽど複雑なわけさ。
そういう一般論の先にある"人それぞれ"っていうリアル、つまり自分にとって何が超楽しくて何が無意味なのかは実感してみないとわからない。
ただどういう風に実感するかは人それぞれ違えど"性の目覚め"とか"親の心子知らず"とかみんな同じように通過する感情でもあるわけで、この「形は違えど本質は同じ」っていう人生の普遍的な感情、経験、関係性に真摯にアプローチしてるからこの映画の時代も環境も全然違う"あいつら"に自分のあれやこれやを重ねて思い出すんだと思う。

▼1979年の不可逆な匂い~設定と語り口の演出する"懐かしさ"
すんごいドラマチックな事が起こるとか、そういうわけじゃない。...いや、ちょっと違うか。ドラマチックに語ろうと思えば演出なんかでいくらでも盛れるところも冷静に映してる。
全てが終わった後に思い出す"あの夏"はこのくらいただの日常で、後から考えてみれば何かが変わったような、そうでないような、教訓も成長も全て結果論でその時はなんにもわかっちゃないような日々しかない。

1979年っていう時代を僕は知らないけどパンクムーブメントやアメリカ大統領の変遷、アメリカン・ニューシネマっていう「今となってはそれも一過性のもんだった」って知ってるあれやこれやにどうしても不可逆な匂いが宿ってる。もちろん過去は過去だから過去なんだけど、だからこそ僕たちはあいつらにも終わりが来ることを知ってる。あいつら自身ですら知ってる。
だからこそあいつらの特別でも何でも無かった季節が"極めて重要な夏"になって、何でこのシーンを切り取ったんだってくらい何でもない一場面にも"懐かしさ"を覚える。
"懐かしさ"なんて超パーソナルな感情のはずなんだけどそういう気持ちになるのは僕も人生の大切な事ってのは今思えば何でもない瞬間にばかりあったかもしれないって経験上(←これ大事)知っているからだと思う。逆に言えば僕がスポーツとか映画(を始めとする"物語")を求めてやまないのも人生においてドラマチックな出来事なんてそうそう起こらないって知ってるからかもしれない。

▼結果論という裏表の無いリアル
とはいえ映画自体は超絶面白いんだけどね。それは単純に"あいつら"が全員人として超絶面白いから。
話したり動かしたりすれば面白いから脚本としてわざとらしく面白い事をしなくても面白い、ってそれは紛れもなく意図的に面白いことをしようとしてるとも言えるんだけど、まあこの映画は考え出すとそういう二律背反をグルグルするようなとこあるから。笑
「本は必要無い」と知るために本は必要だし、意味が無い事を「意味が無い」と知ることは意味がある、みたいな。そうやって"理屈"と"実感"が追いかけっこする。

▼自分の知らない他者と生きる事~未来と未知へのポジティビティ
当たり前だけど自分以外の人は全員他人なわけで、人生で最も多くの時間を一緒に過ごしてる家族ですら"自分の知らない時間"、"外の世界"を持ってるし、そっちの要素のほうが圧倒的にその人を形作ってる。僕の知らないあの人がいるし、あの人の知らない僕がいる。それは当たり前だし絶対に埋まらない。
でもたまにその"わからなさ"がどーしても悔しくなったり知りたくなったりしちゃう時があって、だから恋愛とか教育は難しい。でも、だから人を好きになるんだとも思う。
お前の知らないところで母さんは一生懸命お前のことをわかろうとしてくれてるぞ、って改めてそんなこと考えないまま思春期を過ごしてしまったなあって反省した。ELLEGARDENに熱を上げてた高校時代、どうせ聴かせてもわからねえだろうと思ってた母親が「矢野顕子がカバーしてたからCDを貸してよ」と言ってきた時はほんとビックリした。Black FlagとTalking Headsを一生懸命聴き比べるアネット・ベニングにそんなことを思い出した。
言葉にすると安っぽいけど同じ時間を過ごすってのは、心が通じるってのは、すげえ奇跡みたいなもんだ。インターネットの時代だからっていつでも連絡が取れるなんてのはそういう気持ちになってるだけだぞ。いつ二度と会えなくなるかわからないし、もう最後の別れを済ませてる人だってたくさんいると思う。

思えば映画館で映画を観るってのもそれに近い。別々の人生を(感覚的にはもはや別の世界を)生きてる人たちがたまたま集まって、2時間の映画体験を共有して、また別々の人生に帰る。多分今後一生会わない。
そんなのわかんないけどわかる。でも、だからこそ、グレタ・ガーウィグが「生理」って言わせまくるシーンで隣の席のおっちゃんと声を合わせて笑った事が僕にとって特別な思い出になるんだろうな。

あと僕はこの映画のアネット・ベニングの言う「今が来世かもしれないじゃない」って考え方、めちゃめちゃ好きだ。ベロン!って音が出んじゃないかってくらいデカい鱗が目から落ちた。もうちょいで「確かにーー!!」って叫ぶとこだった。
人生は最高じゃないけど、されど(だからこそ?)良い感じだ。前向きに行こうぜ、少年。

★★★★★★★★★ / 9.0点


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