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2017

映画レビュー:No.557 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ(原題「Lo chiamavano Jeeg Robot」)

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
119分 / イタリア
公開:2016年2月25日(日本公開:2017年5月20日)
監督:ガブリエーレ・マイネッティ
出演:クラウディオ・サンタマリア
イレニア・パストレッリ
ルカ・マリネッリ







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




巨人は嫌いだが高橋由伸には同情的な立場なので早く首切ってやれよと思ってる。

▼主人公のキャラクター造形~ヒーローにあるまじきボトムの低さ
平日朝の9:20~の回でしかも予告無しというなかなかストイックなスケジュールで観た。実際電車遅れて大ピンチだった。

いきなり警察に追われる主人公。身の丈に合わないブリンブリンの腕時計を大事に抱え、不細工なフォームで息も絶え絶えにローマの街を疾走する。絶体絶命のピンチをすんでのところで切り抜けるも勢い余って被曝。AVとヨーグルトしかない部屋で寝込む。そこまでして手に入れた腕時計も結局足元価格でマフィアの下っ端にかっぱがれる。
冒頭15分にしてあらゆるディテールが人間として低い。

予告編の時点で主人公がインクレディブルな能力を身に着けちゃうってのは観客みんなわかってるわけで差し当たっては主人公がその能力をどう自覚してどう発揮するのかってのが最初の見せ場になるんだなって期待するんだけど、ここがまず凄く変で、まず銃で撃たれて9階から落っこちたけどなぜか生きてた!っていう「自分の体がどうかと思うくらい強くなってる以外の理由が思いつくなら教えて欲しいくらいだ」ってレベルの出来事が起きても主人公は一向に状況を把握する気配が無いし、気づいたら気づいたで今度は何をするのかというとATMを丸ごと引っこ抜いて持ち帰るという先進的な強盗テクニックを披露して大金をせしめる。(なお防犯用インクに関しては今回学んだ模様)
金を手にしたからといって特に欲しいものがあるわけでもなくお気に入りのヨーグルトを買いだめしてAVの上映環境をグレードアップする。
要するに思考能力も無ければ日常の充実させ方も知らない空っぽな人間っていう。こいつと同じように金の使い方を知らないくせに金さえ手に入れば何かが変わると思ってるやつ、最近別の映画でも観た。(パンチドランクラブ)
そんな主人公に「お母さんが死んだことで頭がおかしくなって鋼鉄ジーグの世界観から戻ってこれなくなった」っていう清々しいほど身も蓋もない設定のヒロインが付きまとう。

▼敵役の小物感
一方で主人公の成り行きの煽りを食う形で困ってるイタリアンマフィアがいる。
こっちもこっちで凄く変なバランスのキャラクターで、「敏腕」とか「巨悪」とかとは座標で言うと対角にいるようなレペゼン小物という感じが一発で伝わるイタさなのだけど、何ていうかそれを総じて一言で表すと「ウザい」感じなんだよね。僕の経験上この手のウザさを持ったキャラクターが物語的に大きな役割を担ってたケースが思い出せないくらいセオリー的には"無し"なんだけど、この映画はこいつが計画に失敗したり、仲間にナメられたり、Youtubeを観て「再生回数が多くていいなぁ」とか言ってたりっていう雑魚っぷりをとことん引っ張る。ここも面白い。

▼虚構を追い求める者同士という鏡像関係
そういう正義感どころか人間としての目的すら無い主人公と卑小極まれりな小悪党ってのは何者でもない同士として鏡像関係にある。一方はお金っていう資本主義的価値基準の中でステータスを追っかけてて、もう一方は「俺を観てくれ!」っていう自己承認欲求を肥大化させている。
「金」も「再生回数」も数字という実体のない満足の在り方だし、もっと言えばそれは自分のために他人がいるっていう価値観と言えるかもしれない。だから二人共それらの前ではゴリゴリにエゴイスティックっていう。

でも無趣味で友達もいなくて何より童貞(ここ大事)な主人公はヒロインの存在によって徐々に救われていく。人生にとって一番大事なことである「愛し愛されるという事」と「自分は社会にとって必要な存在なんだという実感」をゆっくりと感じ始める。悪役のあいつが仲間にもボスにもSEXの相手にも銃を向けるのとは対照的に。
ただ、そうやって人生上手く行くかも!ってところでその恋人も殺されてしまう。しかも目の前でむざむざと。

▼一番好きなシーン
美しい思い出を辿るように最愛の女性を失った主人公は彼女を思い出そうと劇中印象的なデートシーンで登場した遊園地に足を向ける。その途中で彼は車両事故に遭遇し、追われる身を顧みずに人助けのために"違う方向"へ一歩を踏み出す。(ここで事故を起こすキッカケの作り方もとっても上手い)
このシーンは単に彼のヒロイズムが開花するシーンとしてだけじゃなく彼が人助けをすることで彼女を思い出すって救いの描写になってて、「よかったねえ...」って気持ちと「なんてかわいそうなんだ...」って気持ちで情緒が閾値を超えてしまってボロンボロン泣いてしまった。
みんなが観てる前でヒーローが誕生した、その裏側の大きな悲しみを知っているからこそ頑張れと応援したくなる。

▼「ヒーローなき世界」のなけなしのヒロイズム
この映画は「ヒーローはどこにもいない世界」の話だと思う。裏を返せば「ラスボスはどこにもいない世界」とも言える。
大したことないやつは人間離れした能力を手に入れても大したことないやつのままだ。世界を救ったり滅ぼしたりなんてのは結局絵空事なんだよ。
それでも、ヒーローはいないけどヒロイズムはあるぞ!ってのが人間の良心であり美しさであり希望だと思う。好きな女は守れない、スーパーヒーロー着地もできない、服はダサいパーカー一着しか持ってないしヨーグルトとAVしか好きな物もない。走り方も、戦い方も、人生すらも不格好だ。
そんな何も無い男でも誰かに必要とされたら頑張ろうと思うんだよ。全てのヒーローは利他的行動のメタファーだ。とっても大事なことだと思う。

映画の予算規模の問題からか絵的な弱さを感じる部分は正直ある。特にアクションに関してはチャレンジよりも消去法を感じさせる場面が少なくなかった。
でも僕はこの映画の描こうとしていることが好きだ。共感したしとても大事なことだと思う。
「ヒロイズム」っていうのはスーパーパワーのことじゃなく誰にだって一つは持ちえる人を喜ばせるとか誰かの役に立つっていう良心や能力そのものの事だと思うから。「こんな俺だって絵を描いたら誰かが喜んでくれるのかもしれない」って中学の時にそう感じてそのまま今に至るよ。多分誰にだって目の前の誰かを喜ばせる事ができる。その時が来る。それがその人の役割でありヒロイズムなんだと思う。
僕は誰かが喜んでくれたら自分も嬉しいって、そうやって人と繋がってきた。凄い人間にはなれてない。でもいつか誰かの鋼鉄ジーグにはなれるのかもしれない。

★★★★★★★★☆ / 8.5点



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