07
2017

映画レビュー:No.560 あさがくるまえに(原題「Reparer les vivants」)

あさがくるまえに
104分 / フランス、ベルギー
日本公開:2017年9月16日
監督:カテル・キレベレ
出演:タハール・ラヒム
エマニュエル・セニエ
アンヌ・ドルバル
ドミニク・ブラン
ギャバン・バルデ





この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




股関節がオリハルコンのように固い。

▼叙事の手つきと叙情の目線
フランス映画祭2017にて鑑賞。上映前に監督トークショーが付いていて短かい中でもロケーションや本作の核となるモチーフを作り手としてどう捉えているかという話とか作劇の特徴と意図など上手に作品の導入を作ってくれた。
特に叙事的な構成の話だからこそ切り取る場面や編集という言外の作家の意思を感じるために原作の物語を作り手がどう受け止めたという話は映画の解釈をヴィヴィッドなものにしてくれた。

夜明け前、恋人とのベッドから抜け出しサーフィンに出かける若い男の子が帰路で事故に遭い(事故を起こし)脳死状態になる。物語は彼の心臓をドナーとして差し出す人たち、心臓を受け取る人たち、心臓移植に携わる人達を群像的に描く作り。
脚本的にわからないことは一つも無いし、話の筋としても映画.comの説明以上の出来事も別に無い。それぞれの人物の事情を掘り下げるような世界観の広がりの持たせ方も必要以上に煽情的には描かない。時制に関して並列(同時進行性)、直列(時間経過)を強調するような編集もしていない。
三幕構成の一幕ずつをたっぷり使ってそれぞれのキャラクターと彼らのリアリティを登場させる。描き方は叙情的なのだけれど構造としては叙事的で、感情はあくまで描かれる範囲の中にあるけれど物語としては時制やシーンの枠を越えてエモーションが行き交う。

▼個人の死と大きな生のサイクル~悲劇で終わらせない優しさ
心臓移植というのはもちろん登場人物たちにとって決定的な出来事なんだけど、だからこそ物語の中に結論が無いのが逆にありのままの現実を映しているように見える。
不安とか悲しみとかそういうものが濃厚に持続している中でも手術はしないといけないし、だからこそ心臓を移植された人物が最後に見せる表情でその裏側にあった大きな悲しみや喪失がほんの少し報われるような感覚がある。
人が死んでるわけだから単純なハッピーエンドではもちろんないけど、でも人は死ぬからこそ生の営みは尊いんだと思う。ある人にとっては残酷な現実が今日も誰かの命を救っている。

▼映画としての目の良さ~言外に流れる美しいエモーション
例えば劇中唯一のフラッシュバックのシーンで少年は明るい夕焼けの中で坂を登っている。暗い夜道と曇天の空の下、坂を下った先で結果として帰らぬ人となった彼の生を切り取るのに対比の演出だけでとてもエモーショナルなものにしている。ラストもある登場人物が朝焼けの中で自転車を漕いでいる。映画の生理としてグワッと明るい方向に溢れる何かがある。
とはいえそれだって特別何かを主張したりことさらに何かを強調するようなことではない。現実の人生に呼応するカットなんてものは無いように映画自体も良い意味で飾り気がなく、だからこそ偶然が美しい。

また、カメラが常に運動している。静的な物を映す時もゆっくりとズームしていたり映画が脈動を止めない。だからラストの表情を映すカメラのきれいな静止に、収まるところに収まった映画の終わりという情感が宿る。
命を扱う映画として"海"というモチーフはとても象徴的だし絵作りとか撮影を観るのがとても楽しい映画だった。

ビターでスウィートで、だから世界は美しい。いつか終わりが来るからこそ、今にも終わりが来るかもしれないからこそ、愛おしい瞬間がある。

★★★★★★★ / 7.0点
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