徒然なるままに感想を書く。

映画レビュー:No.561 セールスマン(原題「Forushande」)

2017年07月10日
映画レビュー 0
セールスマン
124分 / イラン、フランス
日本公開:2017年6月10日
監督:アスガー・ファルハディ
出演:シャハブ・ホセイニ
タハネ・アリシュスティ
ババク・カリミ







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。



可愛い人に「ホントにかわいいーーー」とやたら褒めたりかっこいい人に「ほんとにイケメンだよな」と会話を振ったりするのは何の生産性も無いし色々貧しくてクソ気持ち悪い。

▼性差という暴力の構造
奇しくも女性が女性であるがゆえに"奪われる"という構図の物語が続くな。
本作も物語の大きなキッカケになる暴力の裏側には性差が厳然と横たわってるし、特に冒頭から社会として女性の女性性を抑圧しておきながらしっかり性のはけ口として利用しているというイスラム社会の欺瞞が強調され描かれている。

20センチュリーウーマンでアネット・ベニングが言ってた「男は問題の解決に躍起になるか何もしないかで相手に寄り添うことができない」というパンチラインは今後僕にとって支配的な価値観として強烈に内面化されていくものと思うけど、本作の夫も妻の痛みにより添えない事で事態を暴走させてしまう。話としてはぜんぜん違うけどエリザのためにの父親とも少し同じ匂いを感じる。あそこまで欺瞞的でもなく、社会的正義に照らし合わせて語ることもできないあたりがファルハディの上手いところなんだけど。
「壊れてしまう夫婦の話」としては実は冒頭の崩壊するアパートから逃げ出すシーンで既に主人公夫婦はお互いの主張が食い違っているのが面白い。

▼マチスモ幻想への皮肉
劇中劇の「セールスマンの死」について全く知らなかったし映画の中でも決して親切な描かれ方をされていないので映画を観ただけだとあの演劇をやるパートにどういう物語上の役割があるのかいまいち掴みかねた。そこら辺はパンフレットがだいぶ丁寧にフォローしているので詳しい解説の欲しい人はパンフレットがオススメ。
「セールスマンの死」の主人公は男としての尊厳を守るために死を選ぶキャラクターらしいのだけどそれを演じていた主人公が現実でも男としての尊前を追い求めた結果は全くヒロイックでも美しくも無いというのが皮肉な構図。
映画のタイトルが「セールスマン」なのもこの皮肉なマチスモ幻想が作品の主題という事を表しているように感じる。

▼迷ったまま進みやがて行き詰まるファルハディ映画の登場人物たち
観客も一緒に何が真実なのかという疑問を持って進むファルファディお家芸の興味の持続は今作でもゴリゴリ働いているのだけど、基本的に推理と言うには伝聞とか推定に頼り切りの根拠が弱くて結論ありきな展開が続くので冷静に観てれば「これが謎解きとして上手くいくなんてそんな都合の良い展開はありえん」と表面的な構造以外の部分にも目を向けながら物語を観ることができると思う。
被害にあった妻は事件を遠ざけようとしてて夫は積極的に事態の渦中に入っていくということでそこも関係性におけるマチスモ上位な部分が暴力的に映るし、なんなら二次被害的ですらある。そして最終的には物事の本質的な解決なんてものはとうの昔に見失ってたということを愚かしく痛感するという真っ暗な現実だけが残る。
「問題の解決に躍起になる」パターンの非常に悪い例。

物語の要素を理解できずに見終わってから補完する領域が多くて消化不良感でお腹がグルグルするのだけど、壊れてしまった人間関係を前にじゃあどうすればよかったんでしょうね、というファルハディ映画の余韻は健在。
やっぱり作家性と風土がきちんと噛み合って社会性を発揮する作家というのは映画として虚実どちらも強く感じれて面白いなと思う。

★★★★★★★☆ / 7.5点
関連記事
スポンサーサイト



けんす。
Author: けんす。
映画と音楽のブログです
ごゆるりと

Comment(0)

There are no comments yet.