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2017

映画レビュー:No.562 ありがとう、トニ・エルドマン(原題「Toni Erdmann」)

ありがとう、トニ・エルドマン2
162分 / ドイツ、オーストリア
公開:2016年7月14日(日本公開:2017年6月24日)
監督:マーレン・アデ
出演:ペーター・ジモニシェッック
ザンドラ・ヒュラー
イングリット・ビス







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




大学生の時に「けんすは童貞だから女の子を描くのが下手」と言った女のことはまだ赦していない。

▼父親側の描写
「悩める娘とそこにトリッキーにアプローチする父親」って構図から徐々に父親側のメンター的役割が明らかになるような話かなと思っていたんだけど、そういう導き手としての「そういう時どうすればいいのかわかる」っていう達観とかとは程遠いキャラということが割と冒頭からはっきりする。
主人公はピアノを教えてた子が辞めてしまったり、猫が死んだり、娘の誕生日会でも会話の端々に「何か自分だけ知らなかった情報があるな」って感じだったり、どこか人間関係が心もとなく寄る辺ない。
トニ・エルドマンというキャラクターのユーモラスで明るいイメージとはかなり距離があって寂しさや孤独をまとって登場する。何なら物語のキッカケとしては彼こそが娘を頼ってる部分すらある。
彼は愉快でユーモラスというよりは不器用で面倒くさいし、頼りになる完璧な父親とは程遠い。いかんせん娘が心配になったら変装してストーキングしてしまうようなおっさんだし。

▼娘側の描写
娘は娘ではるばるブカレストまでやってきた父親への公私混合極まる雑なアテンドだったりわかりやすーく仕事に忙殺されていて余裕がない。主人公も思わず「お前人間か?」と聞いてしまう。
それなりに金も人間関係も足りてそうなのに全然楽しそうじゃない娘に対して主人公はユーモアが大事だという。ユーモアってのは辛い現実に対抗する力だし、現実を客観的に観る力だし、誰かと一緒に笑う力だ。僕たちは今まさに映画という娯楽を観ている。それが大事だということは知っている。

▼「わかっているからめんどくさい」のが家族
娘も父もお互い否定や拒絶をしない。それは「わからない」のではなく「わかっているからめんどくさい」のが家族だからという感じがする。お互いうまく伝えられないもどかしさを抱えているし相手の気持ちも痛いくらいわかってる。
まあ家庭の外側の世界で生まれる悩み事とか欠落感とかってどこまで行っても家族には埋められないよ。父は結局娘の生活に干渉する時最後まで父という立場では登場しないのだけど、それはやっぱり父親の出る幕ではないからだと思う。ユーモアが大事というのは結局楽しんだもん勝ちでしょって事で、あの主人公はトニ・エルドマンという皮をかぶって精一杯それを体現しようとする。
まあ父親として出る幕ではない、とわかっててもほっとけないってのが父親だよなとも思う。いつまでたっても干渉してくる家族がウザったいときもあるけど、そういう無条件で味方でいてくれる存在ってのは自分にとって大きいもんだよ。
娘もそれはわかってる。自分は心配されてるし、トニ・エルドマンのように強引でも周りに笑顔を生む陽性のグルーブは自分には無いって。
だから最後に娘のなけなしのユーモア精神を頑張って発揮するところとか、超絶に変だけどやっぱりグッとくる。彼女は不器用なところも父に似ているし、そんな中できちんとトニ・エルドマンの教えを実人生にフィードバックしようとする。
「ユーモアが大事」ということに気づくのと同じかそれ以上に「じゃあどうやってユーモアを持って生活すればいいの?」ってのは難しいことだと思う。いつだって言うは易しで理屈と実感の差には大きな隔たりがある。だからこそ最後に主人公が誕生日会で取る行動にグッと来る。

▼親子の関係性について
親の影響ってのは確実に自分の一部分を形成するものだけど、それが直接的に返されるのではなく自分の人生にフィードバックされるような描き方、視点の外向きな開放感のようなものがとても良かった。それはこの映画が"親の愛に気づく話"ではなくて"自分なりに実践する話"だからかもしれない。そうやって親の影響を自分の人生で発揮することが恩返しなのかもなと思った。
そして親ってのは子供はそうやって親離れしていくってわかっていながらいつまでも気にかけてしまう人種だよね。うちの母親とかブログもツイッターも全部見てるくせに一週間くらいで「元気?」ってラインしてくるもんなあ。笑
好みからするとちょっと長いかなとも思うんだけど総じて楽しく観た。

★★★★★★★ / 7.0点

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