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2017

映画レビュー:No.564 怪物はささやく(原題「A Monster Calls」)

怪物はささやく
109分 / アメリカ、スペイン
日本公開:2017年6月9日
監督:J・A・バヨナ
出演:ルイス・マグドゥーガル
フェリシティ・ジョーンズ
シガニー・ウィーバー
トビー・ケベル
リーアム・ニーソン







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




最近乳化を覚えた。

▼主人公と物語
僕の家族は基本的に僕の映画の話には馬もヒくほどの馬耳東風っぷりなのだけど、スペイン語の児童文学の翻訳家をやっている母だけは仕事柄西語圏の監督には少し目を配っている事もあってその手の監督の時だけちょびっと話に付き合ってくれる。
僕はどの作品も「この映画はあの人と話がしたいなあ」というレコメンダーやオススメしたい対象みたいなのが常にぼんやりとリストになってるんだけどその意味で新作をチェックしてて西語圏の監督だと母親案件で1ポインツ!というところがある。

怪物はささやくはいうなれば物語論=登場人物にとってなぜ物語が必要なのかという話なのだけれど、主人公は学校では舌をギュッてつねられたり手をギュッて踏まれたりひどいイジメに遭うし、家庭では唯一の味方のお母さんが重い病を痛々しく取り繕ってて心配と不安ばかり募って辛いし、そりゃあフィクションに心の拠り所を求めるよなあって感じ。
ちなみに学校の奴らは「絵を描いてる」ってだけの理由で主人公をイジメてて非常に個人的な理由により「ぶっ飛ばすぞてめえら」と握りこぶしから血を滴らせながら観てた。ペンは剣より強いんだからな。(誤用)

この映画の"怪物"は言ってしまえばすっごい大袈裟なイマジナリーフレンドみたいなもんで主人公の中の客観的視点のメタファー的存在なんだけど、そこに対して2回目くらいの登場で早くも「てめえ夢だろ!」って主人公が積極的にハシゴ外そうとするのが身も蓋もなくて笑ってしまった。それを言ってしまうと話が終わってしまうぞ!とハラハラした。
でも結局主人公は怪物の話す物語を聞く。最初に怪物が言っていた通りに彼らの関係は進んでいく。3つの物語を話す。それ以上も以下もない。

▼怪物と想像力
主人公にとって現実は厳しい。理不尽なイジメに遭うし、父は自分を置いて家を出てしまった。最愛の母も病魔に苦しみ祖母はそんな自分の悲しみを理解してくれない。
ただいくら厳しかろうと現実は現実として動かし難く存在するわけでそこは主人公自身がきちんと向き合って乗り越えなければいけない部分もある。嫌だと言ったところで母の状態が良くなるわけではないし大人だってそれぞれの事情の中に苦しみや悲しみを抱えている。
怪物はそんな彼に一つずつ物語を通じて"現実"の真理を伝えていく。現実には"悪者"はいないということ。誰かの人を傷つけるように見える行動にも理由や信念があるということ。そして悪い感情に囚われていては幸せになれないということ。
彼の生み出した怪物は言うならば彼自身なわけで、彼の中にある物語は良くも悪くも自分の範疇を越えない。例えば自分が生み出すこうありたいというヒーローも、こうあってほしいという理想も、現実の裏表という範囲を越えることができない。人一人の想像力なんてのはそんなもので、どんなに頑張っても全てのキッカケも過程も結末もその人の中に収まってしまう。

▼物語の"フィクション論"の射程
フィクションは辛い現実から逃れるためのものであると同時に辛い現実と向き合うためのものでもある。
数多くのメンター同様にこの映画の怪物も主人公に"気づき"を与える存在なのかなと思って観ていたけど、怪物の存在も含めて実は彼が現実に向き合い受け入れ乗り越える話だという展開は面白かったし誠実なフィクション論だと思った。

とはいえ怪物が主人公のイマジナリーフレンズということは物語上オープンな設定なわけで納得感はあっても意外性をそこまで感じなかったというか、完璧後出し的なズルい感想を言うなら「そりゃあ俺だって心のなかではわかっていましたよ」なんて都合のいい言い訳も出そうになったんだけど、だからラストのラストのシーンの飛躍で綺麗にダメ押されてブワッと感動してしまった。
この映画で最も彼を守っていた存在は何だったのか、そっちのメタファーでもあったのか!って一気に余韻に広がりが出た。
彼を助けてくれる彼自身はどこから始まっているのか。確かに僕もその人の否定し難い影響下で育まれた人間だからさっきまであんなに訳知り顔で評価を下そうとしてたのに都合よく手のひら返して感動しました。ははは。

物語は語り継がれるもんだね。そうやって何かを好きになるんだ。

★★★★★★☆ / 6.5点
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