04
2017

映画レビュー:No.573 ハードコア(原題「Hardcore Henry」)

ハードコア
96分 / ロシア、アメリカ
公開:2016年4月8日(日本公開:2017年4月1日)
監督:イリヤ・ナイシュラー
出演:ヘイリー・ベネット
シャルト・コプリー
ダニーラ・コズロフスキー
ティム・ロス







ネタバレはありません。




自分のヘッドホンの音漏れ具合は確認のしようがないので電車に乗ると不安になってやたら音を上げたり下げたりしてしまう。

▼映画にとっての手法と物語
全編が主人公視点のPOVなんて手法の目的化以外の何物でもないしもちろんそういうのを観るつもりで映画館に行ってるんだけど、結論としては「やっぱり映画は全編一人の目線で撮るもんじゃないな」とナンセンスな感想を持った。
手法ってのは物語を効果的に語る為のものであって手法のために物語があるって本末転倒な気がする。

まず単純にわかりにくかったり見にくかったりするところがあって本来POVで撮るべきではないシーン、カットもそういう風に映してしまう事で生まれるストレスが思ったよりも大きかった。
もちろんライド感全開で楽しい場面も沢山あるんだけど、当たり前だけどどの撮り方にも長所と短所があるわけで一貫して同じやり方に徹した事で良し悪しどちらも丸ごと内包してしまっている。
なるたけ長所でドスコイドスコイ行くような作りになっているけれどその分本質的にベストじゃない撮り方をしてるシーンの違和感も逆に目立っているように感じた。

▼主観で物事を映す際のテンポと観客の情報処理の誤差
例えば急に敵に襲われて逃げろー!!とか索敵したり情報収集したりっていう画面把握、文脈把握の視覚的段取りにおいては現状同じような事をやらせたらFPSゲームの方が100倍くらいわかりやすい。
それは多分主人公(=プレイヤー)にある程度の能動性と時間的猶予が許されているってのが大きいし、手ブレやピント、明度、輝度とキチンと一瞬で最適の画面を表示する技術的な側面もあると思う。
少なくとも僕の場合この映画では主人公がこっちの都合にかかわらずどんどん先に進んじゃうような情報処理の速度の差を常に感じたし、終始超頑張ってその主人公の状況把握の感覚についていった結果最後の方は初めて眼精疲労を理由に映画の理解を諦めかけた。酔いはしなかったけれど恐ろしく疲れた。

▼物語である以上絶対に内包される主人公の行動原理という感情移入先
宇多丸も主観表現に関して「内面的な感情移入には向かない」と言っていたけど、かと言ってそれを排除することで生じる問題も有るように感じる。
いきなりおっ始まっちゃってさあ大変!というライド性を重視した展開を積み重ねるような構成を意図しているので撮影手法として画面持ちの悪い平場のシーンは極力避けるよう常にアクションを促す何かが起こるという登場人物にとって大変忙しい物語なんだけど、正直一般的な市井に生きる人間なら100回くらいは「何なんだよ!」という疑問や反抗を覚えて然りのところで主人公は一切ためらいも無く物語の都合のいい方向に動くのがすごく機械的な脚本、演出に感じた。
単純に「そこでそう行動するか?」という不自然が大きく、そこはあくまで普通の劇映画と同じリアリティで登場人物を機能させてほしいなと思った。
主人公を客観的に=他人として感じる演出、例えば主人公が喋ったり考えたりと固有の意思を感じさせる演出は主観撮影と相性が悪いと言われるけれど、逆にここまで心的な感情移入を排除されてしまうと落っこちるとわかってるジェットコースターに乗っているような予定調和ななすがまま感でほとんど即物的な感想しか持たなかった。

もちろん本作は体感性という方向の感情移入を極限まで研ぎ澄ませた代物だけど、物語がある以上状況に対してどう行動するかってリアリティは存在するしその説得力に対する感情移入ってのは必ず内包される。もしその要素を100%無しに出来るとしたら(もしくは観客とあらかじめ「そういうつもり」という共犯関係を結べるとしたら)それはただの体感型映像アトラクションになってしまう。
当たり前だけど普通の映画はそれらの要素に対して手法を使い分けて描く。だからこの映画も手法としてのライド感がシーンや物語的機能と噛み合った部分はオリジナルな楽しさがあるしなんならそれだけで観る価値は十二分にあると思うけど、全体としては効果的な映像表現について考える機会として興味深かったという感じで冷静に観てしまった。

★★★★★☆ / 5.5点

ちなみに主観表現で言うとクレヨンしんちゃん映画のロボとーちゃんでヒロシが目を覚まして家に帰るまでのとことかロボコップが目を覚ましたとことかが好きです。



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