04
2017

映画レビュー:No.585 夏の娘たち~ひめごと~

夏の娘たち ひめごと
75分 / 日本
公開:2017年7月1日
監督:堀禎一
出演:西山真来
鎌田英幸
松浦祐也
志水季里子
下元史朗
速水今日子
川瀬陽太







堀禎一監督、ご冥福をお祈りします。

▼狭い世界を生きる人達の話
主人公は山間の小さな田舎町に出戻ってきた、いわゆるアラサー真っ只中の妙齢の女性。友達もセフレも恋人も全ての境界が曖昧な密接で狭い人間関係を生きている。
人物の関係性や属性の説明の仕方とかセリフや演技、演出テンポの固さとか映画として垢抜けないなと感じる部分も少なくなかったけど映画全体としては心に住み着くように印象に残った。
東京生まれ東京育ちの僕だけど奈良県は吉野にじいちゃんちがあったり田舎の原風景やそこの生活のリアリティの一端みたいなことを知ってたのも大きかったと思う。こういうリアル、もしくは逆にこういうフィクションに対して外側の人間として適切な距離を取れる。

▼フラットな閉塞感の描き方
多分僕がこの映画をいいなと思ったのは閉塞感に対してネガティブな目線がないからだと思う。(閉塞感がそもそもネガティブな言葉だろうというツッコミは置いといて)
物語も全くエキソダスに向かうことなく人々はそこに生きる。今時はこういう舞台立てだと常に登場人物のコンプレックスがセットみたいなところがあるけどこの映画の描き方はこういう生活や感情が自然な時代があったんだなあってフラットに捉えられたし、何ならこういう物語でこういうリアリズムを描けるのは今がもう最後なのかもしれないと思うと胸の奥がスンッてなった。
なんとなく僕の世代でこういう風に世界を見つめられる作家は出てこないんじゃないかと思う。多分このリアリティはどんどん絶滅していく。それはとても寂しいことだ。

▼熟成された感情~純度の高さ
今は物とか情報とか選びきれないくらいあって、それによって選択する自由があることで満足のハードルが低いということは基本的には僕達にとって救いになってると思う。
ただこの映画の彼女たちのように逃避できる別の世界があるなんて考えたこともないように一つの場所に留まり純度の高い感情を揺らすことはもはやこの国にとって二度と戻れない過去になってしまったんだろう。
感情は常に一本の線のように地続きで、それゆえに熟成されて、それゆえに深い絶望を招くこともある。そういう純粋な感情に行き着くのはとても難しい時代になってしまったように思う。
きっとないものねだりという側面も多分にあるだろうし単純にどっちが豊かとかそういう問題でも無いと思うけど、でも何かがなくなってしまうということは惜しいことだとは思う。

▼可能性が確定されていくということ
登場人物たちはモラトリアムとも青春とも違う少年少女の時期を生きてる。精神的に未成熟というか、単純に可能性が開かれて何も確定されてない状態の中で踊り続けてる。
多分物事ってのは時間が経過しただけで否応なく終わっていく。ずっと一緒にいるだけでも何かが臨界点に達して何かが確定されてしまう。最良のバランスを長く保つのは難しく、変化はどんどん決定的になる。そうやって自分という人間が確かになっていく。
物語はゆっくり閉じていくように一つずつ確定していって、全てが確かになったところで終わる。

僕はこういう作品をあまり評価するタイプではなかった。それは多分ハリウッド的な映画のメソッドを正解と思ってたからだと思う。言っててどうかと思うけど、でもそれが僕の中で最初に確立された映画の基準だった。
でもそこからどんどん価値観が広がってこういう映画も楽しめるようになった。わからない、ということをつまらないという尺度で捉えなくなったし、そういう時もっと相手の事を知ろうと思うようになった。
それは人から受けた影響がとっても大きい。「あの人が良いと言ってる作品ってどんなだろう」といい意味で新しい出会い方をする作品が増えた。教えてもらった映画の楽しみ方が受け売りではなく自分の物の見方に消化される事も増えた。そうやってどんどん映画が好きになってる。それがたまらなく嬉しい。
この映画はそういう喜びを僕の無意識の中からグイッと引っ張り上げてくれた。それが一番嬉しかった。

★★★★★★ / 6.0点

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