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2017

映画レビュー:No.580 Okja/オクジャ

オクジャokja
120分 / 韓国、アメリカ
公開:2017年6月28日
監督:ポン・ジュノ
出演:ティルダ・スウィントン
ジェイク・ギレンホール
アン・ソヒョン
ポール・ダノ
スティーブン・ユァン
リリー・コリンズ
シャーリー・ヘンダーソン







この記事はネタバレをとっても含みます。ご了承ください。




ACIDMAN主催フェスの出演アーティストのラインナップだけで小一時間泣ける。

▼ポン・ジュノ映画的手触り~矛盾やグレーゾーンのある世界
どの方向にも解釈を拡げられる"新種の生物"っていう言ってしまえばキャッチーな映画的アイデアと、ポン・ジュノの人の業を描くイマジネーションが物語を意外な方向に展開させているようで面白かった。
僕が過去に観たポン・ジュノ作品では(「殺人の追憶」と「母なる証明」)一人の人間の中に描かれていた矛盾やグレーゾーンが本作では対立する2つの勢力という形で表現されている。その分それぞれの描かれ方やその図式がむしろ一面的に見えたり要素としてわかりやすく感じるようなところが過去のポン・ジュノ映画と比べて好みの別れるところかもしれない。
でも僕は思い返してみるとすーっごくポン・ジュノっぽいなあと思った。面白かった。

大きく捉えて「共に生きる=共生」というテーマを最も強く感じたけど、その中には細かな要素として愛玩動物と食用動物、商業主義と自然主義という多くの対立項が見える。でもそれは本来どちらも一人の人間の中にあるものだ。
僕たちは動物可愛いと言いながら動物を食べるし、自然保護や動物愛護が大事と頭でわかっていながら文字通りブラックボックスとしての商業主義を通じて間接的に多くのアンチエコロジーに加担してる。
ポール・ダノ側の理屈もティルダ・スウィントン側の理屈も誰だってある程度自分の中に持ってる。でも彼らのそれは極端で、それゆえ歪みや欺瞞を抱えているように映る。

▼イノセントな主人公~彼女が何を経験し、そこから何を学ぶのか
二者の間で物語の中心にいる主人公ミジャはイノセントな存在として物語に登場する。冒頭の彼女とオクジャの関係は理想的な自然のバランスとして描かれ、ある種ユートピア的ですらある。
必要以上の殺生はしない。生きるために食べ、自然に還元する。互いを思いやり、助け合う。
でもこの世界には様々な大人の理屈があって僕たちはそのしがらみから逃れることはできない。

この映画は「少女が"世界"と接続する」という話だと思う。彼女がいたイノセントなユートピアも元より大人によって作られたまやかしでしかなくて、そんな彼女の平穏はある時期が来たら剥奪される。
過不足ないバランスで成り立っていると思っていた自分たちの世界というのは実は激しく歪んだ大きな世界の一部という現実に向き合わないといけなくなるし、理不尽やエゴという排他し否定し奪い合う人間の醜い面に触れる。
贅沢のために本来出す必要のない犠牲を生むことや主義主張を正当化するためにウソをつく欺瞞的な大人の存在を、そういう世界の側面を知る。
冒頭のミジャ達の生活を観ている僕たちはそんなものがなくたって幸せに暮らしていけるということを知っているけれど、世界というのはもはや後戻りができないほど良心というものが搾取される暴力の連鎖に蝕まれている。

▼ポン・ジュノ映画の要素を集約したようなクライマックス~その先を描くエンディング
彼女は最後、"英語"と"お金"を使ってオクジャを救う。対立していた二者から学んだ大人の理屈で世界のシステムと接続する。白でも黒でもなく、彼女の選択をする。思考停止した資本主義や欺瞞に満ちた博愛主義へのある種の解答のように映る。
しかしそれと同時に彼女はスーパーピッグの食肉処理事態を、そういう社会の大きなシステムそれ自体を止めることはできない。
世界と個、解決のカタルシスと無力感のアンチカタルシスが同じ場面に存在する。素直な結論には着地せず観る側の目線をグラグラと揺らすようなこの手触りがとってもポン・ジュノ的だと思う。
銃声を背に立ち去るミジャの背中にスーパーピッグ達が鳴く。「その鳴き声には価値はない」と言われたその声で。それは勝利なのか、敗北なのか。

最後に彼女たちはもう一度山での生活に戻る。円環構造と考えればこれからまた彼女たちには大変なことが起こるかもしれない。でも僕には綺麗事じゃない世界を見つめてなお理想を描こうとしているように見えた。
こうやってみんな幸せで暮らせるっていう希望を信じたいじゃん、っていう作り手だからこそ風刺を撮るんだろうと思う。

▼表面的な印象
まあ劇映画的な物語としては凄くいびつな構造だとは思う。
アクの強いキャラクター達がすごく中途半端に主人公と全く関係のないところで映画から退場するのはバランスとしてあまり綺麗ではない。一応この話自体が「自分と関係ないところでも世界は回ってる」って話だからキャラクターの物語的因果が主人公の物語と一致しないのはそれはそれで筋が通ってるとも捉えられるけど、まあだからといって映画の印象としてはなるほど上手いって納得できるわけでもないしね。

あと序盤から韓国映画っぽいオフビートなギャグが連発されてそれ自体はめちゃめちゃ笑えて面白いんだけどその描写の「こいつ面白いやつだなあ」っていうのをそのままキャラクターの好感度として受け取ると後でそいつがギョッとするような悪いことをしたりして大変複雑な気持ちになる。
まあ「良いやつ」、「悪いやつ」ではなく「良いやつでも悪いやつでもある」っていうのがポン・ジュノの人間の見つめ方だと思うし、そのギョッて感覚を楽しむのもポン・ジュノ映画の醍醐味のような気がするな。変!って言われれば間違いなく変なんだけど。

とめどなく楽しくてやるせないほど切ない、気分悪くてワクワクする。感動していいのだろうか?とかどんな映画って言えば良いんだ?とかカテゴライズできない部分にゴリッと穴が開く感じ。ポン・ジュノの映画って面白いなあって改めて思った。
観てない作品も観なくちゃ!というかまだ観てない作品が3作もあるって!なんて幸せなんだ!

★★★★★★★★☆ / 8.5点

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