04
2017

映画レビュー:No.602 サーミの血(原題「Sameblod」)

サーミの血
108分 / スウェーデン、デンマーク、ノルウェー合作
日本公開:2017年9月16日
監督:アマンダ・ケンネル
出演:レーネ=セシリア・スパルロク
ミーア=エリーカ・スパルロク
マイ=ドリス・リンピ
ユリウス・フレイシャンデル
オッレ・サッリ







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




ふと思い立ってアゴに両手当てて中指抜いてポキンって鳴らすの10年ぶりくらいにやった。

▼時代的、文化的背景~主人公が脱サーミに至る抑圧的な環境
去年の東京国際映画祭コンペティション部門で上映があってその際の評判が良かったので今月の楽しみな5作にもいれた一本。
北欧の少数民族サーミ人の少女の話。

物語はすっかり老婆になってサーミ族の伝統風習から離れて久しい事を伺わせる主人公が妹の葬式に際して過去を回想する形で始まる。なぜ彼女が脱サーミに至ったのかというのが基本構造の話。
サーミ人っていうアイデンティティ自体がゴリゴリに被差別的な扱いを受けてて、しかも自分たちでもそれをわかった上で弱者の立場に甘んじて抑圧に泣き寝入りしないといけないっていうのは、そりゃあ主人公みたいに個人として「私サーミ人やめる!」って人が出てきてもおかしくないよなあという時代的、文化的背景。

▼主人公の受ける差別
家を一歩出た瞬間から標準語に切り替えて、寄宿学校では少しでもサーミ人らしい面を出すと鞭でしばかれる。通学路では地元のやつらに後ろ指さされてバカにされる。
なんかよくわからないけれどとにかく偉い人が学校に来るって言うんで「私達のための来賓よ!」と浮足立つんだけど蓋を開けてみればなんだかよくわからない研究の為にまるで人間じゃないかのように頭蓋の寸法を取られ身ぐるみ剥がされてバシャバシャ写真を撮られる。窓の外では地元の男どもが視姦してるし先生はそんなの気にも止めずに雑談をしてる。
遂に堪忍袋の尾を切った主人公が「この野郎!」と食ってかかるのだけれど逆襲されてサーミ人のアイデンティティを文字通り傷つけられる。

主人公は最初から自分の世界への違和感を持っているのだけどあるキッカケからサーミ人と外側の世界の人たちの"違い"に意味なんてないということを実感して一気に感情が外側へ流れ出す。そこからは理性より理想に忠実になっていく。

▼外的な抑圧から内的なコンプレックスというアイデンティティの呪縛に向かう構造
外側に向かう主人公の頼る勝ち筋がいかにも空手形で「そんな細い糸を頼って、、、」ってその切実さにハラハラしてしまうのだけど、街に出てからはむしろ直接的な迫害ではなく主人公の内的なコンプレックスに脱サーミのサスペンス的な因果が付きまとう。
主人公の寄る辺ない立場がいつ手詰まりになってもおかしくない状況を生んでて語弊のある言い方をすればここはとっても面白い。特に行き詰った主人公がフラフラと入った学校で成り行きから授業を受けることになるのだけど、そこの気まずい描写とかもはやサーミ人云々と関係なくて笑ってしまった。
でも彼女にとって初めて触れる外の世界の人々は優しかったんだろうと思う。彼女がサーミ人であるということがバレている関係が多いけど寄宿学校にいた頃のように差別し嘲笑するような人はいなかった。逆に文明的な人ほどリベラルな可能性を感じるように描かれている。サーミ人という理由で彼女を偏見する人は物語が進むに連れ段々減ってくる。

冒頭の時制に戻って主人公は妹の亡骸に許しを請う。サーミ人としてのアイデンティティを捨ててしまった自分を後悔しているように。サーミ人のまま社会で生きることができたかもしれない可能性を想うように。
老婆になってガラス一枚隔てた外の世界を眺める彼女の背中に郷愁が滲む。

★★★★★★ / 6.0点

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