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映画レビュー:No.647 ブラックブック(原題「Zwartboek」)

ブラックブック
144分 / オランダ
公開:2006年9月12日(日本公開:2007年3月24日)
監督:ポール・バーホーベン
出演:カリス・ファン・ハウテン
セバスチャン・コッホ
トム・ホフマン
カリナ・ライン







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。




その都度その都度かっけえと思ってた髪型にしていたはずなのに今見たら全部くそダサい。

▼映画館より自宅観賞という最近のスタイル
最近映画館から足が遠いのは映画が面白くないからではなく面白そうな映画がないからだという当たり前の事に気づいた。去年から「映画館で映画を観る」ということを自分に課しすぎていた。「新作を劇場で観る」ことよりも「面白そうな映画を観る」ことの方がよっぽど大事だった。うっかりうっかり。
今映画館でかかっている映画と未見の過去作のアーカイブス、どちらにまだ見ぬ傑作が多くあるかなんて考えるまでもない。今はバーホーベンやコーエン兄弟、デヴィッド・フィンチャーの未見の作品があることの幸福を享受してる。
というわけで最近は自分なりに楽しみな映画を自分のペースで楽しむということの気楽さにどっぷりとハマりこんでる。家で映画を観ると時間もお金もかからないし、時間もお金もかからないのにすげえ面白い映画が観れる!とむしろすごく得した気分にすらなる。劇場観賞本数をこれでもかとひけらかした年末から舌の根も乾かぬうちに調子が良いもんだ。
思うに映画館で映画を観るというインプットのスタイルで行くとこまで行った去年の反動みたいなもんだろう。劇場で観る作品に関しては狙い球の絞り方がわかってきたところ。

ブラックブックは先日30分くらい観たところであまりにうつらうつらとするもんだから「今日はやめとこう」と中断していた。こういう自由度の高さも家で映画をみるののいいとこ、と思えるようになったのが去年までとの大きな違い。映画観てるのかガム噛んでるのかわからないような状態で二時間も三時間もモニターの前にいるのはナンセンスだと思うようになった。

▼力技な構成
回想という語りの形式がある以上主人公の絶体絶命というサスペンスの機能は弱いので彼女が生き残るという展開にどんな意味があるのかを気にしながら観た。とはいえ生きるか死ぬかという点を除けばほとんどがハラハラする展開の連続で「どうすんだこれ」というこっちの想定に先んじてポンポンと悪くなる状況にずっと胃の辺りが落ち着かなかった。
主人公がすげえ派手な格好のままアジトにチャリで帰ってきたり、本来敵を演じてるはずのレジスタンスとさらっと相乗りしたり、挙句市街地で銃撃戦をしたりとエスピオナージュにしては行動が結構大胆なんだけど、リアリティよりもテンポ重視で色んな事を起こして細かいことはまとめて不問にする豪腕な作りだと思う。

▼バーホーベンらしい人間の捉え方
ナチという定型的な悪役像を逆手に取って皮肉を描くのはいかにもバーホーベンらしい。「こんな人だと思ってたら実はこんな人でした」という一筋縄ではいかない人間の人間らしさが基本的にはとても意地悪な形で次々と表出してくる。
結局主人公個人の存在も「人間って愚か」という大きな皮肉に飲み込まれてしまうし映画の内側にはとことん救いがない。救いが有るとすれば劇中描かれる人間の醜悪さや不条理が皮肉として観客に届くというメタな部分にこそあって、描写としての面白さの先に他人事じゃねえぞって地に足の着いた手触りをきちんと残すところがとても良い。
保身のためなら平気で嘘をついたり、憎しという感情を優位性に任せて暴力的に発露させたり、この世の終わりまで自分が可愛かったり立場や理性を越えて誰かを好きになったり、そうならないと言い切れる人はいないでしょ。
その滑稽さ、醜さも含めて人間臭さだろうというのがバーホーベンの描く人間には表れていてただ面白いの一言で済ませてはいけないと思わせられるし、同時に「所詮映画なんだから面白いで充分だよ」という彼の皮肉の根源に有る諦観のようなものも感じる。

どちらにせよ映画的なものほどよく噛んで食べなさい、という受動性と能動性の両方を促す演出を常にとっていて、それを立派じゃなく見せるところまでとても立派な映画だと思う。堪能。

★★★★★★★☆ / 7.5点




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