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映画レビュー:No.659 接吻

接吻
108分 / 日本
公開:2008年3月8日
監督:万田邦敏
出演:小池栄子
仲村トオル
豊川悦司







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。





携帯の充電が切れたら調子悪いと戻ってくるのに7時間くらいかかる。

▼「わからなさ」をあえて狙った物語
映画冒頭から豊川悦司の凶行の成り行きをじっくり見せる。誰を殺すでも良かった犯行で、身元も自ら積極的に明かしたことがわかる。
そこからは「殺人の目的の無さ」だけが強く前に出てくる。何故彼はこんなことをしたのか。
そんな彼を見てシンパシーに目覚めるのが小池栄子演じる主人公。観客を置き去りにしてどんどん殺人犯に夢中になる。何故彼女は凶悪な犯罪者に惹かれるのか。

ここまで共感から遠いところから始める話だけあって「わからない」という感想が特に多く出そうな作品ではあるんだけど、僕はそもそも他者ってそういうものだと思ってるしその理解の隔たりを人殺しというタブーを挟んで描くというのはフィクションならではの面白さだと思う。
現実に人を殺してたら共感の余地はないし、殺したいと思うことと人を殺すことには決定的な違いがあることも知ってる。
僕たちは大概の場合倫理や常識を前にすれば理性が働くようにできてる。

▼他者を通じてしか感じられない実存~人間の抱えるめんどくさい矛盾
そういう一般論的な正しさを彼らにぶつけ続けるのが仲村トオル演じる弁護士。
彼が本当に当たり前のことしか言わないというか最後の最後まで全然わかってなくて、その「サイコパスに正論言ってもしょうがねえだろ」って感じが時々可笑しいんだけど、そういう彼の愚直さがこの物語にとっての救いでもあるのかなと思う。

良くも悪くも人は一人では生きられない。何もしてないのに人は勝手に優劣をつけてくるし、自意識と関係なく不幸ということにされたり理不尽な扱いを受けたりする。人の人生をいたずらに相対評価へと晒し上げる。
でもそういう中で膨れ上がった鬱屈も結局世界に向けてぶつけるしかない。どんなに人のことが嫌いでも、幸や不幸、ひいては自分はここにいるんだという実感は他者を通じてしか認識することが出来ないからとことんめんどくさい。
たとえ憎しみという形でも他者=世界を前に実存を感じている主人公たちも厭世的であればあるほどその矛盾からは逃れられなくなる。

▼普遍的な感情を知るという人間性の再生
誰かを理解したい、誰かに理解されたいというのは社会的な生物として至極真っ当な悩みの在り方だし、その壁が壊れて距離が縮まる相互理解の歓びもまた普遍的なものだと思う。
結局彼らも身近な人から普遍的な感情を覚えて世界への感受性や想像力を手に入れてしまう。
愛を知って、罪を知って、つきつめると世界と繋がるしかなくなる。どんな人でも自分を否定し続けては生きていけない。人間っていうのはそういうめんどくさい生き物なんだと思う。
豊川悦司も小池栄子も頭で理解するより先にそれをわかってしまったように見える。彼らが悲痛な表情で訴える自己否定はSOSの裏返しのようで、取り返しのつかないやり方でしかそのアイデンティティを守れなかった彼らの報われなさが苦い。

小池栄子はグラビアあがりのバラエティタレントという計算高くて世渡り上手なイメージが強かったので、こんなある意味ピュアで盲目な役が出来ることに驚いた。
ペンの持ち方が汚いんだけど字はやたら綺麗で羨ましい。左利きだった。

★★★★★★★☆ / 7.5点




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