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映画レビュー:No.677 聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア

聖なる鹿殺し
121分 / イギリス、アイルランド合作
日本公開:2018年3月3日
監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:コリン・ファレル
ニコール・キッドマン
バリー・コーガン
ラフィー・キャシディ
サニー・スリッチ







この記事はネタバレを含みます。ご了承ください。



靴下を履いて寝れない。

▼どういう話なのか全くわからないけどとにかく不穏な序盤
その実大した話ではないのだけど語り口のクセが強烈。映画が始まってしばらくはどんな話か全然わからないのだけど雰囲気だけは凄まじく不穏で冷たい。

とにかくぎこちないおっさんと少年の描写が続く序盤。一見すると年長者を慕う少年とそれに穏やかに接するドクターという関係なのだけど、おっさんのコリン・ファレルがどうにも気まずそう。ご機嫌を伺っているのか、もしくはなにかを怖がっているのか、そういう観客の心に引っかかるよそよそしさのようなものが彼らの関係性に想像の余地を膨らませる。
彼らに限らずこの映画の登場人物は全然笑わない。裕福な家庭と美しい妻子、立派な職と充実した人間関係、主人公はこれ以上無い模範的人生でありながら彼とその家族の日常はとにかく硬質で冷え冷えとしていて生活感がない。幸せじゃなさそうというか上辺臭いというか。
観ていくとコリン・ファレルの言っていることに整合性の取れない部分があったりなにか少年に対しての後ろめたい秘密が匂わされる。少年も別にそれを聞いて何をするでもなく、何がどう変とはいい難い違和感なのだけれど、猛烈に普通じゃない。

▼「アウリスのイピゲネイア」に基づく話らしい
劇中で言及される「アウリスのイピゲネイア」を下敷きにした話らしく聖なる鹿殺しというタイトルもそれに基づくものらしい。
とはいえ僕はこれ観ただけで「あっ!アウリスのイピゲネイアだ!」と解釈できる人生ではなかったのでその方向での寓意の読み解きは出典がわかった今でもとっても難しい。
女神の鹿を殺しちゃった父親が罰として娘を生贄に出す、という話らしいよ。この映画もまあそのまんまと言えばそのまんま。

▼不条理の先の物語
主人公家族は不条理を受け入れているというか、それ自体は「まあそういうものよね」という態度を取っていて物語もそこから先の話になっていく。
むしろ訪れるものが避けがたいがゆえに、結局恐怖に負けて嫌いな人間に媚びたり、自分だけ助かろうとしたり、事なかれな責任逃れを続けたり、ちょっとずつ彼らの苦しみが表面化していく。
「わかっているがわかるわけにはいかない!」という悪あがきが醜い。

事の成り行きの中で主人公はおそらくずっとそうしてきたんであろう姑息で、高慢で、罪深い人間ということが見えてくる。家族もきっと彼の上辺だけ取り繕った人間性を感じているから最初からあんまり尊敬していない様子だった。
物語では彼の罪に対する対価が要求される。少年によるペイバックの力学に映るけれど、それ以前の諸々もひっくるめて罪を犯したのだからちゃんと苦しみなさい、という大きな因果応報の物語なのかなと思った。
決着の付け方などを見ても主人公は最後の最後まで罪を背負う覚悟が出来てなくて、全部が終わった後もなにか解決したってスッキリした余韻はまったくない。家族からは「なんでこんな目に合わなきゃいけないんや」という徒労と非難の空気がビシビシ放たれていて、主人公は相変わらず見て見ぬふりをしてる感じ。
僕は何ならルールに従ってもみんな死んでしまうんじゃないかと思ったりしたんだけど、一人殺した上で生きてくのはもっと気まずいってことが罰なんだろう。

▼技術的な特徴
奥行きのある構図とロングショット、劇伴のノイズ使いや差し込み方など悪夢のような無機質さがある。
カンヌの脚本賞を取っているように語り口によるサスペンスの構成が上手いのだけど、それを映画として見せる技術にも凄みを感じる一本。「つまらなくなりそうな話」という面白さの説明が難しい。
ヨルゴス・ランティモス×エフティミス・フィリップの監督脚本コンビは前作のロブスターでも不条理なルールの上にあるリアリティを描くのが上手だったけど、本作でも不条理の描き方にルールを持ち込む部分がとても変てこで面白い。
物語的にはあまり意外性も無く一方向的で、その意味で言えば全体的にやや推進力が弱い部分もある。
結局寓話になるわけだけど、下手な人が撮ったらもっと説明的になるかもっと間延びするかしそうな映画で、やっぱりディレクターのビジョンが優れている事が映画を特徴的にしている。

★★★★★★ / 6.0点




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